Ino_noosの自転車遍路の記録

還暦のオヤジが自転車で四国をお遍路しました。その記録を記します。

本編2023年8月10日=3-2-1番=

走行距離45.0㎞(フェリー、電車含まず)。本日の費用、札所930円、ホテル7,000円、交通費2,620円、食費3,080円、その他1,180円、合計15,310円。

昨夜のビジネスホテル八幡さんは清潔でバスルームも広く快適な宿だった。また隣接する同じ経営のうどん屋さんで、うどんをたらふくいただいた。

さて、今日は結願の日。今日は3番からカウントダウンし、2番で結願、1番はお礼参りし、その後徳島港からフェリーに乗って和歌山に渡る。フェリーは約3時間に1本なので、13:20のフェリーには必ず乗りたい。従って昨日は無理して4番までまわったのだ。しかし宿から3番までは18㎞もある。ということで、今日も早起きして6時に出発する。

7:00、3番金泉寺を打つ。朱塗りの大きな仁王門。

本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。正面屋根の一部が手前に伸びて向拝になっている。シンプルで威厳のあるお堂。ご本尊は釈迦如来

大師堂。宝形造りの典型的なお堂。屋根の飾りが金色で豪華。

黄金地蔵尊弘法大師が掘ったと言われる井戸で、上から覗いて自分の顔がきれいに映らなければ3年以内に死ぬという伝説があるようだが、映ったような映ってないような…

金泉寺の記念印、天朗則垂象。天が朗らかに晴れ渡っているときは、吉凶をあらわす象を垂れ、人が何かに感じるときには筆を取るものです。出典:四国霊場会。

納経所で、地元の小学生が作ったという鶴の折り紙がたくさん置いてあった。「お遍路さんどうぞ」と書いてあったので、納経所の奥様に断ったうえで一ついただいた。中にあめ玉が入っているという。いただいたのだが勿体なくて食べられない。

7:50、2番極楽寺を打つ。3番と同じような大きな朱塗りの仁王門。

本堂。近すぎて屋根の構造がわからない。ご本尊は阿弥陀如来

大師堂。宝形造り銅板葺き(たぶん)。

境内にあった長命杉。弘法大師が植えられたというこの杉は樹齢1200年だそうだ。

極楽寺の記念印、慈悲喜捨。他人の幸福を望み(慈)、他人の不幸を取り除き(悲)、その仕事に満足し(喜)、とらわれることがない(捨)。出典:四国霊場会。

これにて結願。しかしボクの旅はこれで終わりではなく、次は高野山奥の院、そして最後は東寺が待っている。それにしても、図ったわけではないが、結願が極楽(寺)というのはシャレが効いていて面白い。

なお、88カ所制覇で結願(けちがん)、結願プラス奥の院で満願、満願プラス東寺で成願、というのだそうだ。東寺は一番初めに行くという話もある。

8:30、1番霊山寺を打つ。お礼参り。

お礼参りは必須ではないが、御朱印に日付を入れてもらえるのが嬉しい。なお1回目の御朱印とお礼参りの御朱印は全く異なるものだった。なかなかディープだなあ。

納経所では外国人のカップルが納経所のおっさんから怒鳴られていた。彼女がカード(弘法大師生誕1250年の記念カード)を取ろうとしているのに対し、おっさんは今渡した袋に入ってるって怒鳴っている。なのでできる範囲で通訳してやった。まあまあ丸く収まったと思う。

本堂。初日ロードバイク4人組が入ってきて撮れなかった写真、やっと撮れた。この時の満足感が一番大きかったかも。

さて、この後が大変だった。霊山寺から徳島港までは約20㎞、今日も南東の風が強くド正面の向かい風だけでも勘弁してほしいくらいなのだが、霊山寺を出て間もなく滝のような大雨にやられた。今朝は始めから降ったり止んだりの不安定な天気だったのだが、霊山寺を出てからの雨は本格的な大雨だ。

この雨あとで調べたところ80㎜の猛烈な雨だった。一般に30㎜で大雨と言われるので80㎜がいかにすごいかと言う話。しかもこれほど猛烈な雨だとふつう短時間でやむのだが、徳島港に着くまで1時間以上ずっと降られっぱなしだった。特に吉野川にかかる四国三郎橋を走行した時は、吹き飛ばされそうな暴風で、マジで死ぬかと思った。もしこのタイミングで沈下橋だったら、絶対落ちていたと思う。

雨は始めから織り込み済だったので、命の次に大事な納経帳は3重の防水対策をしていた。しかし風が強すぎるためポンチョを着ると余計に危ないと判断し、これはあきらめた。つまり身体は首から下は一瞬でずぶぬれ状態となった。頭は菅笠のおかげで濡れずに済んだ。もし菅笠がなかったら、顔に当たる雨が痛くて目も開けられなかったと思う。バックパックは元々防水仕様だがポリ袋をかぶせたので大丈夫だろう。

さて雨中走行は不思議なもので、降りだす前は雨が降らないようにと怯えながら走るのだが、一方雨が降り始めて身体が濡れてしまうと、あきらめというかむしろ楽しくなってくる。この日も早々とその境地に達した。この日ほどディスクブレーキに改造して良かったと思った日はない。道路も至る所排水が追い付かず、リムが水没する状況だったのだ。でも鳴きがひどかったけど。

ずぶ濡れの濡れ鼠状態でフェリーターミナルに着いたのが10:30、霊山寺から1時間半かかった。次のフェリーは10:55だが、これは見送り自転車と身体の手入れをすることにした。運よく人通りの少ない通路を見つけたので、まずずぶ濡れの服を捨て乾いた服に着替え、持参したウエスで自転車を分解しながら汚れを拭き取る。次にチェーンに注油する。最後に輪行袋に入れる。それにしても真夏で良かった。ずぶ濡れになっても我慢できる。

13時過ぎに乗船し2時間ちょっとの船旅。この風雨なので結構揺れた。さて、和歌山港から今夜の宿の紀の川までは約20㎞だが、午前中の雨のダメージが深刻で自転車に乗る気になれない。ということで自転車は袋に入れたまま和歌山線で移動することにした。

17時ホテル着。今夜はホテルルートイン紀の川さん。くどいようだが今日の雨は猛烈だった。しかしお遍路が終了したタイミングで降られたのは不幸中の幸いだった。もしまだ札所が残っている状態だったら、相当困難な状況に追い込まれていたのは間違いない。昨日4番まで打った時はやりすぎたかとも思ったが、結果的に正解だった。人間万事塞翁が馬。明日はいよいよ高野山アタック。

8月10日終了。

本編2023年8月9日(後編)=87-88-10-9-8-7-6-5-4番=

2023年8月9日(前編)=87-88-10-9-8-7-6-5-4番=から続く。

切幡寺を打ち終わり法輪寺に移動中。12:40、9番法輪寺を打つ。こちらは山門。

左は本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。正面の屋根が手前に伸びて向拝になっている。ご本尊は涅槃釈迦如来。渡り廊下で繋がっている右は大師堂。宝形造り本瓦葺き。

法輪寺の記念印、十善戒。十善戒とは慈雲尊者という方がお説きになった仏教徒として守るべき十の戒め。出典:四国霊場会。

13:30、8番熊谷寺を打つ。仁王門。巨大な圧巻の門。自転車と比較するとその大きさがわかる。札所中最古かつ最大とのこと。少し離れた畑の中にポツンと建っている。

仁王門をくぐり、一旦道路を横断して北に向かうと広い駐車場がある。多宝塔。1層はモノトーン2層は極彩色、と面白がっていたが、実は札所最古の多宝塔だそうだ。ということは昔からこのスタイルなんだろうか。

参道。整備された石畳と木陰がとても涼やか。実際は暑いけど。

次に現れるのは二天門。四天王のうち、多聞天持国天が立っている。

右は本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。向拝には小さめの唐破風がつく。唐破風の屋根飾りが豪華。ご本尊は千手観音菩薩。左の階段の先には大師堂。宝形造り本瓦葺き。お堂の前には屋根付きの参道というか四阿というか,がある。何しろ日陰はうれしい。

熊谷寺の記念印、閼伽法水。閼伽とは、仏教に捧げる清浄な水。法水とは、その水が象徴する、仏様から灌がれる知慧。出典:四国霊場会。

14:30、7番十楽寺を打つ。
山門。竜宮城みたい。左の白い建物は多分宿坊だと思う。

右は本堂、入母屋造り平入本瓦葺き。大変大きく立派なお堂。屋根が伸びて向拝につながっているスタイルはシンプルでよいと思う。ご本尊は阿弥陀如来。左の階段の上は大師堂。宝形造り銅板葺き。

十楽寺の記念印、抜苦与楽。仏の心は慈(いつくしみ)と悲(あわれみ)の二つであるといいます。大慈は人々に楽を与え幸福へと導く「与楽」、大悲は人々の苦しみを抜く「抜苦」。出典:四国霊場会。

15:00、6番安楽寺を打つ。こちらも竜宮城のような門で、かつその両側に小屋根がくっついていてその中にはなんと仁王像があった。つまりこれは仁王門か。なお、中央の門の2階には鐘もあった。

本堂。入母屋造り平入銅板葺き。向拝には唐破風が付く。その手前に参道というか回廊というか屋根付きの通路がある。ご本尊は薬師如来

大師堂は撮り忘れてしまった。本坊なのか庫裏なのかはたまた宿坊なのかわからなかったが、入母屋造りの上半分が茅葺き、下半分は瓦葺きという非常に変わった建物。美しいとはいいがたいが、珍しいという点では間違いない。

本堂の中に納経所があり、正面から入って脇から出るようになっていた。そして脇から出たらこのようなお堂があった。観音堂というらしい。平等院鳳凰堂を連想するお堂だ。

安楽寺の記念印、如実知自心。「如実知自心」とは今の言葉に直しますと、「本当の自分を知る」、そして四国遍路は「本当の自分探しの旅」ということになります。出典:四国霊場会。

16:00、5番地蔵寺を打つ。こちらは山門。

本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。向拝は屋根が延長した形になっている。ご本尊は地蔵菩薩。本堂の右側は工事中だがどのような工事なのか想像もつかない。何かがくっついているのだろうか。

大師堂。入母屋造り平入本瓦葺き。向拝は唐破風で、しかし屋根とは連続せず軒下の壁から生えている。大師堂としては非常に大きいお堂。壁の飾りがカラフルで面白い。

地蔵寺の記念印、発心。発心とは悟りを得ようとする心(菩提心)を起こすことです。お遍路や仏道修行の初め一歩を踏み出す心を発(おこ)す状態です。出典:四国霊場会。

境内にある大銀杏。ボクの自転車が点に見えるほど。樹齢800年と言われたのが50年ほど前、と納経所の奥様が笑って答えてくれた。

16:30、4番大日寺を打つ。
山門。朱塗りの門で遠くからでも存在感がたっぷり。

左の入母屋造りは本堂。本瓦葺き、屋根が手前に伸びて向拝になっているシンプルだが美しいお堂。ご本尊は大日如来。右の寄棟造りは大師堂。寄棟造りの大師堂は大変珍しい。ボクの記憶が正しければ24番最御崎寺以来。ちなみにあっちは妻入り。なお本堂と大師堂はL字型の廊下で繋がっていた。

大日寺の記念印、光明。記念印の説明文全ての仏さまに通ずる大日如来さまの広大無辺な光明真言の功徳を記念印にしたためました。出典:四国霊場会。

今日はここまで。明日の都合で今日はちょっと無理をした。16:30を過ぎるとろうそく線香は立てられないし、何しろ落ち着いて参拝できない。やはり参拝優先と言っている以上時間に追われるような計画は立てるべきではない、と反省。

さて、今夜の宿ビジネスホテル八幡さんはここから約16㎞西にある。午後東に向かって進んできたルートを逆に西に向かって走らなければならない。ここの近所には昨日予約できなかった宿坊や民宿があって、残念でならない。

今まで強風の向かい風だったが、今度は追い風になることがせめてもの救い。明日はいよいよ四国の最終日。3,2,1とカウントダウンして徳島港から和歌山に向けてフェリーに乗る。

8月9日終了。

 

おまけ。大窪寺で素敵なお守りを見つけた。るり守りというそうだ。思わず一目ぼれして買ってしまった。子供たちへのお土産にする。

 

本編2023年8月9日(前編)=87-88-10-9-8-7-6-5-4番=

走行距離79.5㎞(電車含まず)。本日の費用、札所7,290円、ホテル5,830円、交通費490円、食費3,495円、その他400円、合計17,505円。

昨日思いついた悪知恵のとおり、今朝はことでんで移動する。なかなかレトロな電車で楽しい電車旅だった。終点長尾駅で下車し自転車を組み立てる。

6:00、片原町駅

おーっ、扇風機が回っている。懐かしい~。

7:20、87番長尾寺を打つ。仁王門。鐘もぶら下がっている。

中央本堂。入母屋造り平入本瓦葺き、正面に大きな千鳥破風、その下に唐破風の向拝を構える重厚なお堂。千鳥破風の懸魚が輝いて見える。お本尊は聖観音菩薩。

向拝虹梁。すごく豪華な彫刻。上のほうでは帯が箒を持っている。

右側大師堂。宝形造り本瓦葺き。屋根に五重塔に着けるような大きな飾りが乗っている。なお中央は本堂、左は護摩堂。境内には樹齢800年という大楠もあった。

長尾寺の記念印、同行二人。35番に続き2回目の登場。

7:40長尾寺出発、県道3号線を南下する。勾配は手許のサイコンだが4~8%。地味にきつい。前山ダムを越えたあたりでお遍路サロンを発見。
8:15、お遍路サロンで一服。

サロン内にある四国のジオラマ

自転車遍路大使の任命書をいただいた。まだ終わっていないのだが、フライングでもらった。第6号とあるが、毎年6月末でリセットするそうだ。7月5人としても年間60人しかいない計算になる。季節によっても違うだろうから、自転車遍路は年間100人~200人というところでないだろうか。少ないなあ。

このブログが、四国遍路文化を広める一助となればうれしい。

県道3号線からR377に左折し、さらに坂道を上る。交通量はそれほど多くないが、上るにつれ傾斜もきつくなる。中腹の四阿で一服する。

最後の2㎞は手許のサイコンだが勾配8~10%前後の急勾配だ。へろへろになりながら上る。9:30、88番大窪寺を打つ。ここは標高450m。

仁王門。札所最大級と思われる。どれだけ大きいかというと、門の前にお遍路さんが一人いるのでよくわかる。ちなみにこの人はタクシー遍路のようだ。合掌する佇まいが凛々しい。

二天門。門の向こうに本堂が見える。

本堂。入母屋造り平入銅板葺き。正面に大きな千鳥破風とその下に小さな唐破風の向拝が付く。ご本尊は薬師如来。本堂の裏手には多宝塔らしき屋根が見えるが、近寄れなかった。また背後には胎蔵ヶ峰が見える。

大師堂。宝形造り、本瓦葺きっぽいが、緑青色しているので本瓦に似せた銅板葺きかもしれない。

大窪寺の記念印、行行至圓寂。行き行きて修行を積み、円満寂静の境地へ到達する。出典:四国霊場会。羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶、ということかな。

大窪寺は結願寺だけあって、参拝する人が皆すっきりした顔をしている。ちょっと羨ましい。結願証を持っていた人がいたのでおめでとうございますと声をかけると、「自転車の人ですよね。下のほうで追い越したんだけどもう上ってきたんですね、速いですね~。」と返された。決して速くはないが、お世辞でもうれしい。

またさっきのタクシー遍路の女性は、運転手兼先達に結願おめでとうございますと言われていた。この先達は先ほどすれ違った時、先方からおはようござますと挨拶してきた。車を見たら黒のクラウンだった。

一方確か高知県内だと記憶しているが、同じようなタクシー遍路を見かけたので挨拶したら、客は返してきたが先達には無視された。なんか偉そうにしていて不愉快だったので、先達には挨拶するのをやめたという背景があったのだが、黒のクラウンは余裕が感じられた。先達ってこうでなくちゃね。実ほど頭を垂れる稲穂かな。

さて、ここで外国人の歩き遍路に再会した。前にあったのは85番八栗寺だった。菩提樹の木の下にあるベンチに腰かけていた。話しかけてみると向こうもボクを覚えていたようだ。ドイツ人の彼女に結願したのかどうか聞きそこなったのが、悔いが残るところだ。

10:20スタート、R377から県道2号線に乗り換えひたすら南下する。この区間はほぼ下りだが、今日も台風6号の影響か強烈な向かい風が吹き、下りでも漕がなきゃ進まないという苦戦だった。そしていつのまにか徳島県に入った。

しかも切幡寺手前でまた道に迷い、かなり遠回りして何とかたどり着いた。11:40、10番切幡寺を打つ。こちらは仁王門。

切幡寺は階段寺で、333段あるそうだ。ボクが階段を上っているとき、階段トレーニングしている4人組に出くわした。ここ走って上るなんてどういう心臓してるんだろ。

左本堂。入母屋造り平入銅板向き。正面に唐破風付きの向拝が張り出す。唐破風はこのくらいの大きさがボクは好きだなあ。ご本尊は千手観音菩薩。右奥は大師堂。入母屋造り平入本瓦葺き、小さな屋根に千鳥破風と唐破風をくっつけて騒がしい感じになっているのが残念。右手前は鐘楼。

大塔。国の重要文化財。歴史を感じさせる塔で、軒下の組物も圧巻だった。この大塔は麓からも見え、ランドマークになっている。

切幡寺の記念印、梵字切幡寺の納経帳の本尊印は「本性清浄を悟り、諸々の執着を離れて涅槃を証得する」と解釈されます。出典:四国霊場会。

後編へ続く。

本編2023年8月7日,8日=86番と高松=

8月7日。

走行距離13.3㎞。本日の費用、札所310円、ホテル3,800円、交通費200円、食費3,050円、その他940円、合計8,300円。

朝から雨。台風6号が接近しているからだろうか、午前中は持ってくれると期待していたが、甘かったようだ。台風は昨日の朝の予報では四国を縦断するコースだったので、一昨日の時点で今日から3日間、高松市内の安ホテルを予約していた。本当はこのままいしや旅館に滞在したかったのだが、予約が取れなかったのだ。ということで、今日は86番を打った後高松市まで移動し、チェックイン時間まで市内で暇つぶしする。86番はいしや旅館からあるいて数分なので、旅館から傘を借りて朝一で参拝し、その後ポンチョを着て高松まで移動する。

いしや旅館の客室。なんと床の間付きの8畳間で、床の間にはお花が活けてある。活けてある花は竜胆のつぼみで、ボクが好きな花なので感激だった。なお、客室にカギはかからない。

7:40、86番志度寺を打つ。

こちら仁王門。

本堂。入母屋造り平入本瓦葺き、正面には唐破風が構える。ご本尊は十一面観音菩薩

大師堂。宝形造り本瓦葺き。

 大師堂から本堂の方向を見る。両者は渡り廊下で繋がっているようだ。本堂の向拝の向こうに五重塔が見える。左上に見えるのは龍の木鼻。

五重塔。手前に見えるのは鐘楼だと思うが、鐘はなく、屋根には雑草が生えていた。荒廃という言葉が脳裏に浮かぶ。

志度寺の記念印、補陀落渡海。補陀落渡海(ふだらくとかい)とは、南方海上にあるといわれる観音様の住む山(補陀落浄土)への往生を願い、その地を目ざして小舟で海を渡ろうとする信仰・修行のことです。出典:四国霊場会。

志度寺はうっそうと生い茂った草木に囲まれた札所だった。庭師が入って整備しているようには全く見えない。これも住職の方針なのか、あるがままの自然体が最も美しいということだろうか。エントロピーは増大する。

志度寺から旅館に戻り、旅装して出発。ただし目的地は高松駅近くなので、30分程度と見込む。今日も南東の風が強く、追い風になっているのが助かる。ポンチョを着ているのでこれが帆の役目を果たし、漕がなくても前に進んでくれる。

9時過ぎホテル着。ビジネスホテル丸登美さん。当然チェックインはできないが、1Fが駐車場になっていて雨風がしのげたので、駐車場で自転車を拭いたり、注油したりのメンテをたっぷり時間をかけて行った。また、午後は雨の中高松市内を散策した。なんとホテルの前からアーケード街が始まっていて、雨でもぬれずにぶらぶらすることができたのだ。SPDシューズは雨でずぶ濡れなので、お出かけはサンダルで。サンダル持ってきててよかった~。

さて台風6号は予想の進路から大きく西に外れ、九州に上陸するコースだという。ならば台風の避難は明日8日までとし、9日はお遍路を再開しようか。

8月7日終了。

 

8月8日。

走行距離0㎞。本日の費用、札所0円、ホテル3,100円、交通費0円、食費2,532円、その他200円、合計5,832円。
台風6号は、九州の西側を北上中。なかなか速度が遅い台風で、昨日九州かと思ったらまだ九州にいて、その影響で香川県も今日一日雨の予報。自転車は昨日雨中走行したので汚れをきれいに拭き取り、チェーンには注油し、輪行して部屋に持ち込んだ。4畳半なので狭苦しいが外に置くよりは全然ましだ。

午前中部屋でグダグダしていたら、雨が小降りになってきた。昨日もボクの移動中は本降りだったが、午後は小雨になったり止んだりしていたが、ホント香川って雨が降らない土地だと思う。午後雨も止んだので高松城まで散歩する。高松城丑寅

月見櫓は工事中。

玉藻公園の正面口

高松のフェリーターミナル。40年前、Kawasaki Z400GPで四国九州ツーリングを敢行した時、川崎からフェリーに乗って上陸したのがこの地だった。全く覚えていないけど、多分ここだろう。

ついでに高松駅も訪れた。あの老眼鏡事件を起こしたのは、高松駅の乗り換えだったからだ。改札の手前からあの日のことを思い出す。遠い昔のように思えるが、わずか22日前。この間ボクは自転車で四国を一周してきたのだ。そう思うと感慨深い。

この後もダラダラと散歩して暇をつぶす。元来怠け者のボクは、こういう時間が必要なのだ。それにしても台風から避難したつもりが、ただの休養日になってしまった。しかし休養日は高知四万十市以来なので、まあ悪くはないとも思う。

さて、散歩中にまた良からぬことを思いついてしまった。滞在中のホテルはことでん片原町駅から徒歩1分なのだが、87番札所は同じくことでんの長尾駅の近くにある。ということは今袋に入っている自転車をそのまま運んで電車に乗れば87番まで楽ちん移動できるじゃないか。長尾駅までは自転車だと17㎞、約1時間の道のりだ。しめしめ、ここは体力温存と行こう。

明日は88番の峠を越えて再び徳島県に入り、10番から逆打ちする。なので一桁札所沿いの宿に入りたい。しかし第1候補の温泉宿坊の安楽寺は予約が取れなかった。また7番十楽寺の宿坊は電話がつながらなかった。さらに民宿を2件電話したがいずれもダメで、やっと見つけたのは10番の南に位置するビジネスホテルだった。明日仮に5番までまわったとすると、10㎞以上西に逆戻りしなければならない。まあ仕方ないか。

8月8日終了。

 

 

本編2023年8月6日(後編)=80-81-82-83-84-85番=

2023年8月6日(前編)=80-81-82-83-84-85番=から続く。

根香寺を打って国分寺に移動中。途中のスーパーの駐車場でおばあさんに千円お接待していただいた感動も冷めやらぬまま、10:10、80番国分寺を打つ。
山門。大変大きな八脚門で、手前には大きな石灯篭が2脚ある。また門を横切るように伸びた松が雰囲気たっぷりだ。

参道。奥に本堂が見える。石畳の参道の脇には松並木。松の背面には八十八カ所のご本尊の石像が両側にずら~っと並んでいて壮観。

本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。大変大きく立派なお堂。ご本尊は十一面千手観音菩薩。

大師堂は写真なし。納経所の建物の中に大師堂の祭壇があり、その祭壇に向かって読経した後、くるりと振り返って納経するという仕組み。

写し霊場四国八十八カ所巡り。お大師様の像を筆頭に、1番からご本尊が並んでいて壮観。折り返して参道の反対側にもある。

国分寺の記念印、護國安民。国を護り、民が安らかに暮らせるようにと聖武天皇が願って国分寺は建立されました。その願いは弘法大師に引き継がれ、今も変わらず当山は護国安民の寺として国家の安泰と国民の幸福を祈り続けています。出典:四国霊場会。

これにて四国4県の国分寺コンプリート。

80→83番はほぼ東に約8㎞。炎天下のもと酷暑に耐えながら走る。さらに台風6号の影響か南東の風が強く、前に進まない。平地なのに坂道を上っているかのようだ。これは拷問に近い。
11:20、83番一宮寺を打つ。ここで初めて駐車場に大型バスが停まっているのを見た。これから始まるのかもう終わったのか、と警戒したがもう終わったようだ。ほっ。こちらは裏門みたい。またやっちゃった。

こちらは仁王門。

本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。正面屋根の一部が伸びて向拝になっている。ご本尊は聖観音菩薩。

手前本堂、奥大師堂。大師堂も入母屋造り平入本瓦葺き。ただし大師堂は向拝が唐破風になっている。

一宮寺の記念印、増蒼生福。「早く郷国に帰りて以て国家に奉り、天下に流布して蒼生の福を増せ」師匠の恵果阿闍梨より密教の全てを授かった時にいただいたお言葉。蒼生とは多くの人々のこと。出典:四国霊場会。

次の屋島寺までは区間距離17㎞、高松市の中心を突っ切って進むが、市街地はヒートアイランド現象で暑さがさらに過酷だ。しかし北に向かうので今度は追い風。うっ、何だあのテーブルトップの山は。あれが屋島か?もしかしてアレに上るのか?

やっぱり上るのか… あの岩山見上げるようだ。坂は壁みたいに見える

有名なミステリーゾーンだが、ただの上り坂にしか見えない

屋島スカイウエイは5年ほど前に無料化され、それ以降自転車も上れるようになったそうだ。しかしこれも激坂で、登り始めなんて勾配10-15%だ。しかも炎天下なので、サウナの中で自転車を漕いでいるかのようだ。

途中源平屋島古戦場の展望台付近で、停まっていた車からお姉さんがガンバレ~って応援してくれた。う、うれしい…  結局約4㎞を40分かかった。
14:15、84番屋島寺を打つ。こちらは東大門。

本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。幅の広い向拝が屋根から連続する形で伸びている。柱は朱塗りだが、色褪せが長い年月を感じさせる。向拝虹梁の彫刻がすごく凝っている。ご本尊は十一面千手観音菩薩。

大師堂は撮り忘れてしまった。日陰が無く焼けるような日差しを浴びながら読経したのを覚えている。
右奥は本堂、左は宝物館。しかし何だこの妙ちくりんな屋根は。

本堂脇にある蓑山大明神。狸さんの由来はわからない。

四天門から本堂を臨む。

屋島寺の記念印、洗心。おへんろを廻ることで心が洗われる。出典:四国霊場会。

駐車場の近くの展望台。さっきのテーブルトップと同じくらいの高さにいる。やっぱり上ったんだ… それにしても瀬戸内海はきれいだ。屋島寺から歩いて水族館の先に絶景の展望台があるらしいが、そこまで行く元気がない。そこはスキップして下山することにする。

次の八栗寺にはケーブルカーで上る。ワクワク。でもケーブルカーの山麓駅までの上りも結構な急勾配だった。もう疲労と暑さでグロッキー状態。

もちろん自転車も一緒。

上昇中。さっきまでいた屋島が正面に見える。

ケーブルカーを下車してまもなく八栗寺着。あれっ鳥居?

15:30、85番八栗寺を打つ。
本堂。入母屋造り平入銅板葺き。向拝として控えめな唐破風が乗る。そして唐破風の棟は手前に傾斜している。堂々とした立派なお堂。ご本尊は聖観音菩薩。

大師堂。宝形造りにしては大きなお堂。屋根瓦の飾りがおしゃれ。獅子が逆立ちしている。

聖天堂。入母屋造り平入に棟より大きい千鳥破風に唐破風の2段構えの檜皮葺。お聖天さまって、要するにガネーシャのことか?

参道。朱塗りの多宝塔が映える。

本堂と聖天堂。背景の五剣山を含め大迫力。聖天堂の千鳥破風は棟より高く棟をまたいでいるように見える。こりゃ珍しい。それにしても唐破風の棟はマントヒヒの鼻筋に見えるのはボクだけか。

八栗寺の記念印、禅黙為心。禅黙を心と為す、座禅瞑想に励むというほどの意味です。出典:四国霊場会。

境内にある菩提樹の木。ここのベンチで一服する。気持ちいい。

下山はケーブルカーではなく裏山を下りる。え~、にじゅういちパーセント!?こんな標識初めて見た。ボクの手元の勾配計は誤差があると思うが、この標識は間違いない。

五剣山を下り、約30分で宿に着いた。今夜の宿はいしや旅館さん。場所は86番札所の目と鼻の先。この建物は国の登録有形文化財

廊下もお庭もすごく素敵だ。

今日も厳しい暑さだった。特に午後の屋島寺は体中の水分が汗になって流れ出たかと思うほど汗だくになって上った。移動で疲弊すると札所を余裕をもって参拝できず見落としが発生するのが勿体ない。

さて、明日は台風6号が四国を直撃する予報なので、一旦高松まで戻って高松の安宿に避難する。

今朝お接待でいただいた千円。もったいなくて使えない…

おまけ。一宮寺で買ったお守り。みっけまもりという一風変わったお守りでデザインは画像の他麻の葉模様と夏限定のきゅうりの3種類。香川産ヒノキの一枚板で真ん中に穴が開いている。お守りっぽくなくて良い感じ。身内の女性陣にプレゼント。ちなみにこれはカミさんから借りて写したもの。

なお本日の移動距離84㎞にはケーブルカーも含まれる。前編冒頭の標高履歴を見ると、屋島寺の上りが八栗寺のケーブルカーと匹敵していて興味深い。

8月6日終了。

本編2023年8月6日(前編)=80-81-82-83-84-85番=

移動距離84.4㎞。本日の費用、札所7,850円、ホテル5,300円、交通費600円、食費3,622円、その他200円、合計17,572円。 

今日は昨日積み残した80番からスタートなのだが、一方今日の最大の山場は81,82番のヒルクライムで、ここは朝一で攻略したい。だからこそ、昨日のうちに80番まで打つ計画だったのだ。

そこで昨夜城山温泉に浸かりながらあれこれ考えて出した結論は、先にヒルクライム、つまり81→82→80→83番という順に打つ、という作戦だった。これは早朝にヒルクライムできる一方走行距離は長くなるので、あとから考えるとあまり良い手ではないと思ったが、まあ当時の精神状態から出た結論なのだろう。しかし、この判断があとで大きな奇跡を生むことになる。

6:00、城山温泉を出発。ちなみに昨日は土砂降りの雨の中、この玄関の軒下で荷ほどきしたり自転車を拭いたりできて、すごく助かった。

県道180号線、鴨川(亭)五色台線の上り。いささか甘く見ていたが特に前半がきつい坂で、手許のサイコンだが勾配が10%前後あった。普通の峠道でこんな急勾配ダメでしょって文句をたれながら上る。ただし後半は緩やかになる。途中の景色。手前におっぱい山、瀬戸内海には瀬戸大橋がかかる。ちなみにおっぱい山と言っているのはボクだけ。

7:10、81番白峰寺を打つ。ここは標高280m。
山門。両側に階段状に小屋根が続くユニークな門。画面では見えないが門の奥にも小屋根がある。早朝なので朝日が射している。

境内、なかなかの階段を上る。

ところで、白峰寺に着く直前歩き遍路に追いついたので挨拶した。すると彼から「ここ(自転車で)上ってきたの~すごいね~」と言うので、「いやいや歩きのほうがよっぽどすごいですよ~」と返した。こういうわずかな会話でも疲れが吹き飛ぶ感じがするのが不思議。その後納経所前で再会しさらに会話したが、通しで歩いているそうで、足がマメだらけになって痛くて歩けないって言ってた。1200㎞歩くのだからね。さもありなん。

本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。正面の屋根の一部が延長し向拝になっている。またその手前には屋根付きの参道が繋がっている。こちらは銅板葺き。参道の天井裏にはたくさんの灯篭がぶら下がっていたが、これはピンボケで撮影を失敗した。ご本尊は千手観音菩薩

大師堂。しかしピンボケ。宝形造り本瓦葺き。屋根の一部が延長して向拝になっているのは、本堂と同じスタイル。

改めて、奥が本堂、手前が大師堂。もみじの気が涼しげ。実際は暑いのだけど。紅葉の季節はさぞかし美しいだろう。

勅額門。後小松天皇の勅額のレプリカが掲げられているのだが、見落とした。しかもピンボケ。

頓証寺殿。こちらもピンボケ。なぜか白峰寺はピンボケが多い。白峰寺は、勉強不足で崇徳上皇の御陵を見逃した。また石造十三重塔も見逃した。あ~なんてことだ。日本三大怨霊の一人、崇徳上皇にそっぽを向くようなマネをしてしまった。これはマズいぞ。あとが怖い。

客殿。これもピンボケ。これってもしかして、た、た、り…

白峰寺の記念印、観蓮知自浄。蓮の花は泥水の中からきれいな花を咲かせるように、この世がどんなに混沌としていても一人ひとりの心の内は本来清浄
であるということを蓮の花が咲く様子を通じて知る、出典:四国霊場会。

次の根香寺へは遍路道根香寺道があり、当初は自転車を押してこの遍路道を歩いてみたいと計画していた。が、コンディションが悪いとの注意書きがあり断念した。あとから思うと、ここはやめておいてよかったかもしれない。何しろた、た、り、が怖い。

気を取り直して根香寺に向かう。今朝上ってきた鴨川(亭)五色台線に復帰する。アップダウンしつつ標高450mまでのぼり、下りの途中に根香寺が見えてきた。8:30、82番根香寺を打つ。山門。まだピンボケしてる。

山門をくぐると一旦階段を下りて再び上るという地形。出雲大社を思い出す。階段の両脇の石垣はなんという積み方だろうか適当に積んでいるようで帳尻はあっている。意外と難しそうな石垣。

本堂。宝形造り本瓦葺きのように見えるが、緑青色になっている。両側の回廊は明らかに銅板葺きなので、ひょっとすると本瓦に似せた銅板葺きなのかもしれない。またこの本堂は回廊式になっていて、回廊には無数の小さな観音様が安置されていた。一瞬三十三間堂を想起するが、中に入ってみると異世界の雰囲気がたっぷりの空間だった。ご本尊は千手観音菩薩

回廊の内部。左側のフェンスの向こうが無数の観音様。兵庫県とか大阪府とか札が立っていたので、地域頃に分類されているのだと思う。東北地方はなかった。当たり前か。

大師堂。大変大きなお堂だが、屋根はたぶん入母屋造り。柱も朱塗りだが木造なのかコンクリート製なのかわからない。現場ではそこまで注意してみていなかった。

根香寺の記念印、施無畏。当山本堂の扁額に書かれている言葉です。さまざまな不安や畏れを取り除いてくださる方、施無畏者ともいい、観世音菩薩のことを指します。出典:四国霊場会。

山門の脇にいた牛鬼。背景になじんでいてちょっと不気味。

山のぼりのご褒美。絶景。

山を下りたら、五色台の麓を右回りに迂回し、昨日行けなかった80番を目指す。まだ9時過ぎだが既に炎天下でバテ気味、麦茶を買いにスーパーに寄って一服していたら、そこで奇跡に出会った。

地元のおばあさんが、千円お接待してくれたのだ。おばあさんはボクが自転車にひっかけた菅笠をみて、ボクに声をかけてくれたのだが(本人がそう言ってた)、ボクは千円という金額に驚愕のあまり声も出ない。やっとのことで我に返り、納め札を1枚お渡しして南無大師遍照金剛を3回お唱えするという正式な返礼をした。

このおばあさんも昔お遍路をしたそうだ。今ボクがいる場所は、普通の順打ちではルートにならない場所なので、お遍路は珍しかったのではないかと推測する。

それにしても昨日80番を打っていたら、そして今日先に80番を打っていたら、さらにこのスーパーに立ち寄らなかったらあり得なかった出会いで、これは奇跡だと感じた。理系で理屈っぽいボクがそう思うのだから間違いない。

後編へ続く。

 

本編2023年8月5日(後編)=71-72-73-74-75-76-77-78-79番=

2023年8月5日(前編)=71-72-73-74-75-76-77-78-79番=から続く。

善通寺を打ち終わり、金倉寺へ移動中。

先ほどの歩き遍路の奥様の話を聞いてから、無性にうどんが食べたくて仕方がない。というわけで、酷暑の中善通寺市市街地をさまよい、やっと見つけたうどん屋で昼食。

次の金倉寺までも区間距離約3㎞、かつ平坦な市街地で問題なし。12:00、76番金倉寺を打つ。また裏側からアプローチしてしまった。

仁王門。こちらの仁王像も白い。

本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。屋根と向拝が連続しているすっきりした外観。

向拝の天井から数珠スタイルのマニ車がぶら下がっていたので、一周回してみた。

大師堂。入母屋造り平入本瓦葺き。

境内にあった巨大な楠。

金倉寺の記念印、知自心。最も大事な教えは如実に自分自身の心を知る事が大事であると記されています。出典:四国霊場会。

この時間帯炎天下は厳しい。頭が冴えなくなってきたので、通り沿いのスーパーに入ってイートインスペースで一服する。13:20、77番道隆寺を打つ。
仁王門。

本堂。入母屋造り平入波瓦葺き。向拝はないようだが、これほど軒が大きければ向拝は不要だろう。現場では気付かなかったが、参道の両サイドを観音様と思われる小さな石像が固めている。それにしても雨樋が妙に現代的。

大師堂。宝形造り本瓦葺き。屋根の一部が伸びて向拝となっている。

道隆寺の記念印、実修実証。修行を通して自らの心と体で学んだことを「実修」また学んで得たことを人々のために活かして行くことを「実証」とし、この二つの修行を「実修実証」という。出典:四国霊場会。

裏口。それにしても観音様がたくさんいる札所だ。

ここでまたやらかした。自転車を止めたところにポンチョを置き忘れてきた。帰る時忘れないようにしないと、と思っていたがやっぱりやっちゃった。1㎞くらい走ったところで気づき、戻ったらあった。良かった~。台風6号が接近している状況でポンチョを失ったら大ダメージだった。

寄り道、丸亀城。四国って意外と言ってはナンだがお城が多い。

14:50、78番郷照寺を打つ。
山門。厄除け根本霊場と書いてあるのだが、それより衝撃的なのは、シャッターがついていること。現代的だなあ。

本堂。寄棟造り平入本瓦葺き。棟には金色の鴟尾を頂く。下側の大屋根は大きすぎて1層の屋根なのか裳階なのかわからない。さらに正面にはで~んと唐破風が張り出す。しかも分厚い。これと似たようなのに仙遊寺があるが、いささかくどいというか、しつこいというか重厚すぎて食傷気味。

ちなみに、向拝の天井裏にはこのような飾りがはめ込まれていた。これはきれい。

大師堂。唐破風しか写っていなかった。なおボクは23番薬王寺ででやってきたが、ここでも階段1段ごとに賽銭を置いて厄払いするのだそうだ。

郷照寺の記念印、厄除衆生。「厄除衆生」とは、命あるすべてのものを救う「衆生済度」に厄災を除く「厄災消除」の意味を合わせ持った造語になります。出典:四国霊場会。

15:45、79番天皇寺を打つ。
山門というかはっきり言うと鳥居。しかも非常に珍しい三輪鳥居。奥に見えるのはお堂ではなく白峰宮。そして扁額には崇徳天皇とある。怖い。これは現場では気付かず、白峰宮に参拝もせず、崇徳天皇をスルーしてしまった。これはやばいかも。

鳥居の脇にはこのような立派な銘板というか表札というか、銘石がある。

向かって右、本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。向拝は控えめ。ご本尊は十一面観音菩薩。左は大師堂。宝形造り本瓦葺き。天皇寺としては非常にコンパクトな境内。

天王寺の記念印、為道求道。「道のために道を求める」これは、弘法大師空海伝教大師最澄と交わした書簡により御自身が得られた、「求道とは何たるや」の答えです。出典:四国霊場会。

参拝を終えた時点で16時、今日はあと一つ行きたいところだったが、難しそうだ。今日も午後ガクンとペースが落ちている。しかも雲行きが怪しい。ということで今日はここまでにして宿に向かうことにする。今夜は城山温泉、この道中日和佐に続いて2回目の温泉だ。しかし、宿まであと一歩というところで土砂降りの雨にやられた。惜しかった~。

さて温泉に着くと、宿の人がすごく丁寧に対応してくれた。自転車を拭くのにタオルを貸してくれたり、自転車を玄関の内側に置くのを許可してくれたり、業務用の洗濯機を貸してくれり。また、温泉は瀬戸大橋が間近に見える絶好のロケーションで、最高だった。

湯上りに脱衣所で身体を拭いていたら、宿の人に(肌が)焼けてるねえと声を掛けられた。その通り脚は足首からももまで、腕は手首から上腕まで真っ黒で、その他は真っ白という白黒パンダという状態だったからだ。

そして自転車の話やお遍路の話、雨の少ない香川の話など色々会話を楽しんだ。雲辺寺を自転車で上ってきたと言ったら仰天していた。ボクは普段知り合いとも会話が少ないほうなのに、どうしてこんなに見ず知らずの人と会話ができるのか不思議だ。これが四国というものか。

しかし天皇寺は勉強不足だった。讃岐、天皇、のキーワードで気付くべきだった。今回はお遍路なのでお参りするのはお寺に限定し、神社には寄らないと決めていたのだが、これが裏目に出た。結局白峰宮は素通りしてきたので、いつかまた再訪しなければならない。

んっ、これはもしかして、既にお四国病に感染してる?

ともあれ8月5日終了。

おまけ。高速歩きお遍路ご夫婦からいただいた、はちみつ種なし梅干し。甘くてすっぱくて美味しかった。