Ino_noosの自転車遍路の記録

還暦のオヤジが自転車で四国をお遍路しました。その記録を記します。

本編2023年8月5日(前編)=71-72-73-74-75-76-77-78-79番=

走行距離72.3㎞。本日の費用、札所6,490円、ホテル6,110円、交通費0円、食費2,985円、その他547円、合計16,132円。

今日は香川県の札所密集地帯を駆け抜ける。71番から目標80番まで。でもまず昨日見落としした砂絵に寄る。5:40出発し、昨日通った道を引き返す。銭形展望台入口から短いが激坂が始まる。小さなループトンネルまである。勾配は軽く10%を超えるが、朝一だしまだ気温も高くないので大丈夫だ。

6:00、砂絵展望台から寛永通宝を見下ろす。しかしこれ、雨や台風で崩れないのだろうか、すごく不思議ではある。

昨日の積み残しも拾い上げたのでお遍路を再開する。6:20スタート。R11に合流するように北上し弥谷寺を目指し、7:20、71番弥谷寺を打つ。弥谷寺は45番岩屋寺に匹敵する階段寺で、うっそうとした森の中ひたすら階段を上らなければならない。540段だそうだ。さらに弥谷寺は日本三大霊場の一つだとか。そう思うとゾワゾワっという感じがする。

仁王門。完全に夜は明けているのだが、薄暗いのは森が深いからだ。

左の画像、序盤。まだまだ序の口ここは山門の手前。中央の画像、中盤の百八階段。右の画像、大師堂。

百八階段の足元におられる金剛拳菩薩像。6mの巨大な像。

階段はさらに続く。ここには摩崖仏があったのだが、見逃してしまった。

本堂。入母屋造り妻入り本瓦葺き。シンプルな向拝が張り出す。ご本尊は千手観音菩薩

本堂から見る景色。標高約300mなので、すごく景色が良い。

大師堂は写真なし。大師堂はの本坊の中にあり、靴を脱いで中に入り参拝する。納経所も同じ場所にあった。

弥谷寺の記念印、壽無涯。四恩に感謝し、常に善行方便を廻らして生活に生かす。善行方便(十善)をめぐらす。六波羅蜜を常に心に持つこと。出典:四国霊場会。

さあどんどん行こう。8:30、72番曼荼羅寺を打つ。弥谷寺の山を下りて東へ進むと平地に突如出現する感じ。こちらは仁王門。

本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。正面屋根の一部が伸びて向拝につながっている。棟の飾りがものすごく凝っている。ご本尊は大日如来

大師堂。宝形造り本瓦葺きの典型的なお堂。

珍しい半跏の地蔵菩薩

曼荼羅寺の記念印、法身説法。世の中の全ての現象は大日如来の説法である。出典:四国霊場会。

9:00、73番出釈迦寺を打つ。72番とは目と鼻の先。

修行大師像。背面の山の稜線に見える三角屋根は奥の院捨身ヶ嶽。

左、本堂。宝形造り本瓦葺き。正面屋根の一部が伸びて向拝になっている。ご本尊は釈迦如来。右、大師堂。こちらも宝形造り本瓦葺き。ただしこちらは唐破風の向拝付き。本堂のほうがやや大きい。

出釈迦寺の記念印、和顏愛語。自らが相手の気持ちや状況を汲み取ってよく受け入れ、言葉はやさしく、柔らかな表情で接しましょう、という意味。出典:四国霊場会。

奥の院へはご遠慮申し上げた。何でも殺人的な激坂らしい。

9:30、74番甲山寺を打つ。出釈迦寺から3㎞程度、道に迷わないよう慎重に走ったつもりだったが、また裏門から入った。

ところで、ボクが弥谷寺に入ったとき、すれ違いで出て行った歩き遍路のご夫婦がいた。彼らには出釈迦寺を出たところで追いついたので、追い越しざまにあめ玉をお接待したのだが、この甲山寺では逆に彼らに追いつかれて、さっきのお礼とばかり梅干しのお菓子をお接待された。

それにしてもこのご夫婦は年配の方だが速い。山歩きに慣れている感じで背負っているリュックも登山用。今日もこの時間ですでに30℃以上の猛暑だが、長袖長ズボンのいで立ちで颯爽と歩いているさまは、経験豊かな登山家然としていた。とてもかっこいい。

本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。正面の屋根が伸びて向拝になっている。ご本尊は薬師如来

大師堂。宝形造り。

それにしても、歩き遍路の方に追いつかれるほど何をやっていたかというと、これ。甲山寺はうさぎがシンボルのようで、かつ今年はうさぎ年ということでうさぎの御朱印キャンペーン中だったのだ。ボクもうさぎ年なので、白衣とサイクルジャージにうさぎの御朱印を押してもらった。この日は白衣もサイクルジャージもバックパックの中だったので、一旦荷ほどきしなければならず、ばらしたりまた荷造りしたりでだいぶ時間がかかってしまった。でもなかなかいいじゃんこの御朱印。ちょっとは速く走れるかも。

甲山寺の記念印、同時成仏。本尊を仏として拝むとき、拝まれる方はもとより拝むわたしもまた仏となるのであり、これを「同時成仏」というのであります。したがって、祈りは決していい加減な気持ちで行ってはなりません。出典:四国霊場会。

次の善通寺甲山寺から区間距離3㎞程度なので、あっと今に到着する。
10:20、75番善通寺を打つ。善通寺弘法大師生誕の地だけあって、他の札所とはその大きさ荘厳さにおいて一線を画す。こちらは山門と思ったけど、大師堂側の門だった。

善通寺はとても広く、本堂と大師堂が通りをまたいで向かい合わせになっている。本堂は東院、大師堂は西院。ということで、180度反転して本堂へ向かう。

山門と思ったけど、ここも違うようだ。中門と言うそうな。下半身の造形がユニークな門。石手寺の鐘楼にもみられる袴のような設計。

袴の股の間から本堂と五重塔

今度こそ山門で間違いないだろう。南大門と言うそうな。御誕生所善通寺と書いてある。

金堂。国重要文化財。入母屋造り平入本瓦葺き。大きな裳階が張り出すこの造りは、東大寺の大仏殿を想起する。あっちは寄棟造りだけど。ご本尊は薬師如来、中に入って拝観できる。写真はないがとても大きく威厳があるというかご利益がありそうなご本尊だった。

五重塔。国重要文化財。八十八カ所では竹林寺本山寺に続いて3つ目。逓減率が小さいこのスタイルは東寺の五重塔に似ていると思う。高さ約43m、善通寺HPによると、国内では3番目の高さだそうだ。ということは、東寺、興福寺八坂の塔に続く高さか、あれっ順位が…  

ところで、東院と西院の間をうろうろしていたら、先ほどのご夫婦の歩き遍路と再会した。奥様が手を振ってくれた。チャーミングな方だ。曰く少し手前でうどんを食べてきたそうだ。そんな寄り道しても自転車のボクと同じペース、恐るべし歩き遍路。

西院に戻ってきて御影堂。国重要文化財。入母屋造り平入本瓦葺き。正面には大きな千鳥破風を構え、破風の幅に合わせた向拝が屋根から伸びる形で張り出している。こちらは弘法大師が生まれたまさにその地だそうだ。こう言っちゃナンだがよそのお寺の本堂より大きい。手前には参道が接続されている。

参道内側から。今日のような日差しがきつい日には助かる。

善通寺の記念印、四恩。我々が平等に恩恵をうけているものに四つあることをいいます。その四つとは、父母の恩・衆生の恩・国王の恩・三宝の恩とであります。出典:四国霊場会。

後編へ続く。

 

 

 

本編2023年8月4日(後編)=番外椿堂‐66-67-70-68-69番=

2023年8月4日(前編)=番外椿堂‐66-67-68-69-70番=から続く。

67番へ向けて移動中。11:30下山開始、12:00曼荼トンネルの旧料金所前通過、さらに山を下って、12:50麓からさっきまでいた山を見上げる。稜線の中央付近にロープウエイの山頂駅があるのだが、肉眼では確認できたが写真ではわからない。ここはうどん屋さんの駐車場。ここで昼食をとる。下界は35℃、暑っ!

13:15、67番大興寺を打つ。山門。実はこの大興寺、裏口から入っちゃったのでこの山門はくぐらなかった。

本堂。寄棟造り平入本瓦葺き。正面屋根の一部が手前に伸びて向拝となっている。それにしても棟が短い。勢い側面の屋根の勾配が緩やかになっている。なかなか趣のあるお堂で、さらに左端に納経所があり住職がおられた。ご本尊は薬師如来

大師堂。宝形造り本瓦葺き。向拝虹梁の組み物がかっこいい。手前の松がいい感じ。

この大師堂の脇に自転車を停めている。このさらに左側に裏口があり、よくあることだがまた裏口から入っちゃった。なぜかボクは裏口から入ることが多い。が、断っておくが人生を象徴しているってわけではない。納経所では住職に歩きかと聞かれたので自転車でまわっていると答えたら、お接待としてお甘納豆をくれた。凄く嬉しい。こういうのって強く記憶に残るものだ。

大興寺の記念印、金。当山本堂の丸瓦に使われている字。お大師様の直筆と言われている「大和洲益田池碑銘並序」の中の “遍照金剛” の字か
ら引用されていると思われる。出典:四国霊場会。

大興寺から北上し、14:15、70番本山寺を打つ。平地にある広い境内の札所で、五重塔がランドマークになる。こちらは仁王門。

本堂。国宝。寄棟造り平入本瓦葺き。正面屋根の一部が伸びて向拝になっている。また軒が非常に大きい古式ゆかしき印象の静かなるお堂。ご本尊は札所で唯一ここだけの馬頭観音菩薩。国宝であることを事前に調査していたのに、しっかり鑑賞もせず見逃してしまった。今日も暑さでボケている。

大師堂。入母屋造り平入本瓦葺き、本堂と同様屋根の一部が伸びて向拝になっている。

五重塔。八十八カ所で五重塔があるのは、竹林寺に続いて2カ所目。高さ32mとのこと。十分大きい。

仁王門から境内を望む。中央に本堂向かって右に大師堂、左は五重塔、さらに左は十王堂。

本堂と五重塔。広角レンズ。この配置は法隆寺を彷彿とさせる。

本山寺の記念印、抜苦与楽。一心に唱えることにより仏様へ願いが届き果報が得られ、一切の苦しみを鎮め安楽となる。 本山寺の御本尊 馬頭観音さまは馬が草を食むが如くに皆さまの苦しみを除いて下さいます。声に出して御真言を唱えれば真言本来の、お力が発揮されます。出典:四国霊場会。

15:05、68番神恵院&69番観音寺を打つ。
仁王門。ここは一つの境内に68番と69番が同居している。そういえば三角寺で会ったイタリア人にここの話をしたら、I know It's easy! って言ってた。

仁王門の奥、短い階段を上ると…、どっちがどっちかわからない。

鐘楼の天井裏。雲の彫刻がびっしり。こりゃあすごい。

神恵院の本堂。コンクリート打ちっぱなしの真四角。奇抜さでは59番香園寺に匹敵する。まるでピラミッドの遺跡に入るような感覚で中央の階段を上る。あっ、頭切れている。ちなみに院と名乗る札所は唯一ここだけ。

階段から上を見上げる。

階段を上ると奥にもう一つ建物が。こちらが本堂か。ちょっと近すぎて造りが良くわからない。ご本尊は阿弥陀如来。ということは手前のコンクリートの箱はなんだったんだろう。

神恵院の大師堂は撮り忘れてしまった。

続いて観音寺の本堂。寄棟造り平入本瓦葺き、朱塗りの木組みが目に鮮やか。ご本尊は聖観音菩薩。

左が観音寺の大師堂。宝形造り。本堂と同じく朱塗りだが、こっちは壁まで真っ赤。渡り廊下で繋がっている右のお堂は愛染堂。愛染明王というとなぜか赤のイメージがあるのだが、こちらのお堂は濃いあずき色。

本堂の手前に巨大な楠があった。樹齢1000年だとか。

神恵院の記念印、微雲管。お大師様は、入定の後も弥勒菩薩の住する兜率天の浄土より、我々が信仰と修行に励む姿を見守る、という意味。

観音寺の記念印、普済光。仏様はその加持力によって大いなる光を放ち、この世の全てを照らし、普(あまね)く衆生を済(すく)う功徳を我々にもたらして下さいます。以上出典:四国霊場会。

納経所は1カ所しかない。従ってこの納経所では神恵院と観音寺の2つの御朱印をもらうわけだ。これで600円。ちなみに今回のお遍路で愛用しているサイクルジャージは、実は神恵院の住職の発案だとか。なので、それに敬意を表してサイクルジャージにも神恵院御朱印を押してもらった。

これで200円合計800円也。今日はここまで。ところで、観音寺は裏手から山に登ると砂絵が見えるということを、ホテルに着いてから思い出した。ガーン、これは見落とせない。仕方ない、明日朝一でもう一度寄っていくか。

さて、雲辺寺からの下山ルートだが、当初は雲辺寺から東側にまわって六地蔵越えを狙っていた。しかし体力的に無理っぽいので今回はあきらめた。今日でお遍路19日目、流石に疲労が蓄積している感じが否めない。しかし改めて考えてみると、毎日毎日よく走っているほうだとも思う。

最後に今日のホテルはTabist 本大ビジネスホテル 観音寺さん。ここ面白い。普通の2階建てのワンルームアパートを改装してホテルにしている。なのでホテルというよりアパートに帰ってきたという感じ。いろんな商売があるもんだ。

8月4日終了。

 

本編2023年8月4日(前編)=番外椿堂‐66-67-70-68-69番=

走行距離76.0㎞。本日の費用、札所1,750円、ホテル5,500円、交通費0円、食費1,884円、その他110円、合計9,478円

今日はお遍路中最も標高の高い札所に参拝する。その名も雲辺寺、標高は900m。雲辺寺へは北側からロープウエイで登れるので、多くの客はそれで登るのだろう。しかし南側からは登山道もある。せっかく最高峰の札所に上るのにロープウエイはないだろうという貧乏根性丸出しのボクは、南側から自転車で上ることにした。

6:10出発。目的地は雲辺寺だが、その前に番外霊場椿堂に寄る。R192は地味にきつい坂道で、手許のサイコンだが勾配4~7%の坂道が延々と続く。昨日のダメージから回復していないのか、早くもバテバテになってきたところで、6:50、椿堂を打つ。椿堂はR192沿いにあり特に迷わなかった。
山門。門に鐘がぶら下がっている。

左側は本堂。宝形造り銅板葺き、屋根の一部が伸びて向拝になっている。ご本尊は地蔵菩薩。ちなみに右側の真っ赤な人は不動明王

大師堂。

こちらの境内にある椿の葉を持ち帰ると病気が治るとの話を聞いたのだが、ボクは写真に撮って持ち帰ることにする。

7:20再スタート。再び地味な坂道をダラダラと上る。やがて強敵の境目トンネルが見えてきた。境目トンネルは全長855m、歩道も狭く使い物にならないので決死の覚悟で車道の左端を突っ走る、と考えていたのだがR192は今朝からほとんど交通量がない。

結局境目トンネル通過中はトラックはおろか1台の車にも追い越されることはなかった。早朝だったからか、あるいは並行して高速ができたからか、あまりの交通量の少なさに安堵しつつ、バックミラーを確認の上道の真ん中を走行した。言うまでもないが左端って障害物や小石が多くて危険なのだ。

境目トンネル通過後は一旦下る。そして、あの有名な民宿岡田の前を通過し、突き当りを左に折れ、県道8号を北上する。しかしこの8号、なかなかの急勾配で勾配10%を越える箇所もある。曼荼トンネルまで約3㎞は明らかに先ほどまでのR192とは異なる雰囲気だ。ここはあまり警戒していなかったので、結構きつかった。

雲辺寺の参道に入る前に早くもバテバテ状態で、どうにかこうにか曼荼トンネルまで到着。ここで一服し、ビジネスホテルマイルドさんからお接待していただいたおにぎりをいただくことにする。

曼荼トンネルを北側から。

ついに香川県に突入。

ビジネスホテルマイルドさんからお接待していただいたおにぎり。

この道路が有料道路だった時代の料金所跡と思われる。
おにぎりエネルギーを補給後8:50スタート。

曼荼トンネルを抜けて右折すると、そこは曼陀峠、雲辺寺の参道に繋がる山道である。右折すると一旦下り坂になるが、龍水の滝というポイントから上りに転じる。上りに転じた後も勾配5%前後の緩い上りが続く。たまに出てくるヘヤピンもこの程度。

しかし、後半は10%を越す急坂が連続する予想以上の激坂が待っていた。しかも距離があるので手に負えない。
左の画像、前半の比較的緩い坂。中央の画像、勾配10%超しかも直線の上りしかもコンクリート舗装。右の画像、後半の10%勾配。標高650mくらいまで上ると一旦下り坂になる。その後10%超の急勾配、また下り、その後10%、と精神的なダメージが蓄積する過酷な上りが続く。

苦心惨憺で雲辺寺まであと0.8㎞まで上ってきたが、さらに最後の試練が待っていた。

最早おなじみと言っていい急勾配のヘヤピンカーブ。ただここは標高860mで雲辺寺まで目と鼻の先。あと一歩というところでこの仕打ちはきつい。

10:20、66番雲辺寺を打つ。麓の旧料金所から1時間30分もかかった。この区間約9㎞、それにしても時間がかかりすぎた。やはり疲労が蓄積していること、今日は8㎏の荷物を積んでいること、このルートいささか甘く見ていたこと、が重なり気合が入らずダラダラと上ったためだろう。疲労困憊だが何とか漕ぎ切った。

ところでこの1時間30分の間、車はおろか人一人もいなかった。途中林業の人が作業する音は聞こえたが、人の気配はそれだけ。これも滅多に得られない経験だろう。それにしてもここは涼しい。気温は26℃。さすがに1000m近いと下界とは6℃は違うと思う。

仁王門。奥の階段の上には大師堂がある。

本堂。入母屋造り平入銅板葺きのコンクリート製。銅板の色が黒いので、さほど古い建物ではないようだ。屋根には千鳥破風、正面軒下の壁から唐破風が張り出すスタイル。屋根と唐破風は完全に分離している。ご本尊は千手観音菩薩

大師堂。入母屋造り平入、飾り破風はなく、正面屋根の一部が延長し向拝となっている。

向拝の軒下。向拝虹梁には鶴の彫刻、木鼻には像。シンプルなところがいい。

雲辺寺が最高峰であることを示す看板

雲辺寺香川県最初の札所という位置づけだが、実は徳島県だったりする。

雲辺寺の記念印、三心平等。若し自心を知るは即ち仏心を知るなり、仏心を知るは即ち衆生の心を知るなり、三心平等なりと知るは即ち大覚と名づく、大覚を得んと欲はば、まさに諸仏自証の教えを学すべし。出典:四国霊場会。

参拝後ロープウエイの山頂駅に行ってみたら、思いがげず絶景が広がっていた。これは山頂駅奥の毘沙門天像の台座展望台からの眺め。眼下に観音寺市が一望できる。その先には瀬戸内海、さらにその先には見えるのは岡山県か。ボクは若いころパラグライダーをやっていたのだが、こんな素晴らしいロケーションを楽しみながらフライト出来たらと、久しぶりに飛びたいって思った。いつまでも見飽きない景色だった。

こちらは同じく台座展望台から昨日泊まった伊予三島方面。積雲から雨が降っているようにも見える。こんなに近い雲が目の高さだ。手前に天空のブランコが見える。リフトがあるがここは冬季はスキー場になるそうだ。こんな絶景を見下ろしながらスキーしてみたいものだ。

五百羅漢。正直センスが悪いというか気持ち悪い。

雲辺寺は一口で言うと石寺。石像が至る所にあり、石でできたオブジェや、本堂もコンクリート製。正直石像にはあまり興味がないので、雲辺寺自体はさほど関心がなかった。しかし毘沙門天からの眺望は最高の一言。疲労を押してロープウエイ駅まで行ってみて本当に良かった。これ見逃したら一生の損だった。

後編へ続く。

本編2023年8月3日(後編)=60-65番=

2023年8月3日(前編)=60-65番=から続く。

横峰寺早朝アタックを終え、ホテルに戻ってきた。9:10ホテル着。往路は2時間20分、復路は1時間の道のりだった。ホテルでシャワーを浴びたい気分だったが既にチェックアウトしているのでそれもかなわず。こんなに早く戻ってこれるんだったら、チェックアウトしなければよかったがあとの祭り。

ホテルで荷物を受け取ったその足で伊予西条駅に向かい、暑さ対策と疲労軽減策として、輪行伊予三島まで移動する。この区間約36㎞だが自走したら2時間以上かかっただろう。電車で約50分身体を休めることができた。

伊予三島駅で下車し、今夜の宿であるビジネスホテルマイルドさんに寄って再び荷物を預かってもらい、65番三角寺を目指す。事前に調べていたことだが、三角寺までのルートはわかりずらい。細い生活道路しかもまあまあの坂道を行きつ戻りつ、つまり道に迷いながら上る。

あとでわかったのだが、ここはエリエールで有名な大王製紙の城下町のようで、ここまで上ると眼下にその工場街が広がる。

12:40、65番三角寺を打つ。上ってみると麓で道に迷ったあたりが一番きつい坂道だった。

山門。

仁王門でもあり鐘楼でもあるようだ。

本堂。宝形造り銅板葺き裳階付き。向拝として唐破風を張り出す。宝形造りとしては非常に大きなお堂だと思う。裳階付きと書いたが、あまりにも大きいので、裳階なのか2層になっているのか、よくわからない。ご本尊は十一面観音菩薩

向拝虹梁の彫刻。龍が躍動している、凝った造り。

本堂横から。やっぱり宝形造り。手前の大木も幹に苔が生えたぐらいにして貫禄がある。紅葉したらきれいだろうなあ。

階段の上、大師堂。宝形造り銅板葺き。

三角寺の名前の由来となった三角形の池。ここで弘法大師護摩の秘法を行ったという。

ところで三角寺の直前で歩き遍路を追い越してきたが、彼はイタリア人だった。今回出会った歩き遍路のうち、半数は外国人だったが、彼もその一人。

三角寺の境内で一服していると彼が追いついてきたので、この三角池まで案内して寺名の由来を説明したところ、すごく喜んでくれた。どうやら彼は通しで歩いていて、今日で45日目だそうだ。1日当たり平均30㎞歩くのだとか、最大で42㎞歩いたとか、ボクから見ると異次元の世界だった。彼から見てもボクが1日100㎞走ると言ったら目を丸くしていたが。

こういう話は面白い。今朝横峰寺を上ってきたことを話したが、あそこは整備されて歩きやすかったそうで、どうやら彼は遍路道の話をしているようだった。88番大窪寺がきつそうだとも言っていた。確かに大窪寺遍路道は急峻だそうだ。なんだかんだで20分くらい話をしただろうか、互いの健闘を祈って別れた。彼とはその再会する機会はなかった。彼は高野山にも行くと言っていたので、無事満願したことだろう。

ちなみに、会話は英語、日本語、ボディランゲージ、ガイドブックの指差しと総動員。彼はボクの壊れた英語をよく理解してくれたと思う。実は理解していなかったりして。

三角寺の記念印、皆悉四恩。人は皆、様々なかたちで支えられ、恩を受けている。それは父母のように身近な存在から、一切衆生に至るまで全てのものからである。出典:四国霊場会。

納経所で御朱印を書いてくれた奥様は、ボクが自転車で上ってきたことを知るとよく上ってきましたねえと驚いていた。いやいや横峰寺に比べればなんてことないですよ、とは言わなかったけど、お褒めいただき光栄です。

その後下山し15時頃ホテル着。割と大きめのホテルなんだけど家族経営なのかホテルの人は隣の畑で野菜を取っていた。プチトマトをお接待していただいたので、冷蔵庫で冷やしてからいただいた。さらに翌朝はおにぎりをお接待していただいた。嬉しい~。

なお本日の移動距離は100㎞だが、このうち36㎞は電車でワープなので、実質64㎞といったところだろう。

8月3日終了。

本編2023年8月3日(前編)=60-65番=

移動距離100.1㎞(含む電車37㎞)。本日の費用、札所620円、ホテル5,280円、交通費850円、食費2,838円、その他517円、合計11,105円。

今日はラスボス横峰寺にアタックする山岳ステージ。今回のお遍路は、事前に激坂の遍路転がしを5カ所設定した。それは12番焼山寺、20番鶴林寺、27番神峰寺、60番横峰寺、66番雲辺寺である。

21番太龍寺も相当な難所だがロープウエイがあるので今回は外した。逆に雲辺寺はロープウエイがあるが、今回は自転車で上るのでリストアップした。そして雲辺寺は札所中最も標高が高い場所にあるが、上りの距離も長いのでそれほど勾配はきつくないのではないかとみている。

従って、今日アタックする横峰寺が最後で最大の難所すなわちラスボスであると位置づけてきた。ということでいつもの作戦、つまり暑さ対策として早朝にスタートすること、重量対策としてホテルに荷物を預かってもらうこと、を決行する。目的地までは約20㎞。4:40ホテルを出発。

加茂川。東の空が明るくなってきたが、まだ日は登っていない。

黒瀬湖に浮かぶ月。この日は満月かそれに近い月だったのだろう、西の空に月が浮かんでいる。そして湖面にも月が浮かんでいる。

5:36、横峰寺への入口。ホテルからここまで約12㎞。黒瀬湖を回り込むように通過した辺りにこの標識がある。ホテルからここまではほぼ上りだが勾配は最大でも5%程度できつい坂道ではない。

上のY字路を右に進むとまもなくこの看板が出てくる。横峰寺まであと8㎞。ここはバス停で、横峰寺までマイクロバスも運行している。ちなみにピンボケなのはこの画面外れて右側に犬がいたから。野犬ではないかと警戒した。というかビビった。ちなみに、この後まさかの一旦下り坂になる。

再び黒瀬湖。空の明るさから、完全に黒瀬湖の西側に来ているのがわかる。つまり湖を半周したわけだ。

料金所。6時ちょうどに通過。誰もいなかったが、元々自転車はタダ。料金所を過ぎるとしばらく直線的に上るのだが、ここが一番きつかった。手許のサイコンで勾配15~18%の坂が延々と続き逃げ場もない。

ヘヤピンカーブでもこのありさま。今上ってきた道路がはるか下のほうに見える。この辺りから勾配10%くらいになるが、それで楽になったような気がするのだから面白い。いや喜んでいる場合ではないか。

普通ヘヤピンカーブだと外側のほうが勾配が緩いのでわざと大回りして上るのだが、ここではそれが通じない。どこを走ってもきつい。

これって立体駐車場のスロープよりきついんじゃないだろうか。エスカレーターをつけてほしいくらい。

6:30、瀬戸内海が見えてきた。

前後で落差4mはありそうなヘヤピンカーブ。一気にビルの2階以上うえに上るイメージ。

6:50、やっとここまで来た。直進すると駐車場へ。右折はその先に駐車場がないので通行止めになっているが、自転車は行ける(と思う)。駐車場方向に進むとさらにヒルクライムした挙句長い歩道を下って境内に出るという無駄な体力を使うことになる。

右折した先は未舗装なので、ここは押して歩く。しばらく歩くと、境内の裏手に出る。7:01、60番横峰寺を打つ。奥に見えるのは本堂。

一旦本堂の前を通り過ぎて参道を下り山門まで下りる。

御本尊大日如来蔵王権現と書いてある。蔵王権現か。蔵王エコーラインでトレーニングしてきたことが一瞬にして蘇る。

山門の手前。歩き遍路の人は麓から約2㎞のこのような山道を登ってくるそうだ。相当にきつい登山だと推定される。山門が見えた時の感動は一入だろう。

山門を出たら、本堂に戻る前に奥の院へ向かう。奥の院へは山門のわきからこのような山道を10分程度歩く。

60番札所奥の院星が森。ここには簡素な鳥居があり、その先に霊峰石鎚山をのぞむ。早朝の奥の院はボク以外誰もいない。神聖なこの空間を独り占めできることを幸せに思う。もちろん天候にも恵まれないとこれほどきれいに石鎚山は見えない。

星が森の弘法大師の祠。南無大師遍照金剛。

一旦山門まで戻って本堂に至る。本堂。入母屋造り平入銅板葺き。正面の屋根の一部が向拝として伸びて、さらにその先端が唐破風になっている。連続して流れるような屋根の造形が美しい。唐破風の懸魚と向拝虹梁の彫刻を朝日が照らしている。ご本尊は大日如来。ラスボスの正体は大日如来だった。べいろしゃのう。

ところでこのお堂、あとで知ったのだがなんと権現造りなのだそうだ。現場では全く気が付かなかった。権現造りとは神社建築の様式で日光東照宮が有名。ちなみにボクの地元の大崎八幡宮も、東北地方としては数少ない国宝建造物で権現造り。仏教寺院で権現造りは、ボクは他に見たことがない。

大師堂。本堂と向かい合うように配置されている。宝形造り銅板葺き。正面の屋根の一部が延長して向拝になっている。大師堂前で読経していたらいきなり扉が開き中から坊さんが薬缶をもって出てきた。朝のお勤めだと思うが、突然のことでびっくりした。ついでに中を覗けばよかったがそこまで気が回らなかった。

参拝後大師堂の左の歓喜天堂に腰かけて一服していると、突然扉が開いて中からさっきの坊さんが出てきてまたびっくりした。同じ坊さんに二度驚かされた。あとから考えると結構面白い出来事だった。

横峰寺の記念印、縁。「出会うか 出会わないか それには遥かな違いがあります」というお大師様のお言葉。出典:四国霊場会。

8:10、横峰寺をあとにして荷物を取りにホテルまで戻る。この区間は全くの打ち戻りで、9:10ホテル着。往路は2時間20分、復路は1時間の道のりだった。

後編へ続く。

本編2023年8月2日(後編)=57-58-59-61-62-63-64番=

2023年8月2日(前編)=57-58-59-61-62-63-64番=から続く。

12:00、62番宝寿寺を打つ。正面の大屋根が本堂と思いきや外れた。ではこの大屋根はなんだったのか、結局わからなかった。旧本堂なのかな。

本堂。入母屋造り妻入り銅板葺き、と思いきや屋根の奥に何やら飾りが見える。現場では気が付かなかったがこれは何だ? ご本尊は十一面観音菩薩

手前大師堂。本堂と同じく入母屋造り妻入り銅板葺き、正面の屋根が延長して向拝になっている。と思いきやこちらも一筋縄ではいかなかった。

広角で写真を撮っていた。まず本堂は入母屋屋根の後ろに宝形屋根らしきものがくっついている。これは50番繁多寺と同じスタイルではないか。もしかして入母屋屋根の後ろに宝形屋根をくっつけるというスタイルは一般的なのか、謎が深まってしまった。でも妻入りの後ろに宝形屋根をくっつけるのは、棟の延長上にあるからかあまり不自然には感じない。

さらに大師堂はL字になっている。これも現場では気付かなかったが、L字のお堂なんてなかなかお目にかかれないと思う。調和のとれた妻入りコンビと思いきや、仰天のお堂2連発だった。ここは隠れた魅力が満載の札所だ。それにしても旧本堂(?)の前にプレハブ小屋の納経所が建っている。なにやら因縁を感じるなあ、このやり方。

線香立ての四阿。風鈴が涼しげ。

宝寿寺の記念印、天養降福。、天に応じて人を養えば(育てれば)、天から幸福(さいわい)が下される、という意。◆寺紋が亀甲紋ですので、縁起の良い亀をイメージして描きました◆ 出典:四国霊場会。

12:50、63番吉祥寺を打つ。
山門。門の手前には象の石像が置いてある。仁王像に変わるものだろうか。象の口が阿吽になっていたかは確認できなかった。

本堂。入母屋造り平入本瓦葺き。正面の屋根の一部が伸びて向拝になっている。シンプルだが威厳あるお堂。ご本尊は毘沙門天

毘沙門天は元々四天王の一つ北を守護する多聞天だったが、これがソロデビューして毘沙門天となった。東寺の兜跋毘沙門天立像が超有名。岩手の東和には欅の一本彫りとしては日本一の大きさの兜跋毘沙門天立像がある。ご本尊が毘沙門天の札所はここだけかもしれない。

大師堂。宝形造り本瓦葺き。向拝は本堂のスタイルと同じで調和が取れている。

伽藍配置。本堂の左わきに90度で大師堂が置かれている。さらに両者はL字型の渡り廊下で繋がっているようだ。

吉祥寺の記念印、同事是貴。菩薩、仏道修行者は常に謙虚に、相手に対して心がけを忘れず、常に相手と同じ立場に立つことが一番貴いことである。出典:四国霊場会。

昼食にラーメンを摂る。お食事処みなたけさん、威勢の良いお兄さんがいる豚骨ラーメン美味しかった。

あまりの暑さに耐えかねて、前神寺の手前のコンビニに駆け込んだ。空調のきいているイートインスペースで冷たいものを食べたかったのだが、そこには先客がいて、中学生らしき子供が数人集まってなにやらゲームに興じている。

仕方なく外でガリガリ君を食べていたら地元のおじいさんに声を掛けられた。自転車で遍路してるとか、横峰寺は明日に回したとか、横峰寺は大変だよ自転車で上るの?凄いね~とか雑談したのだが、このおじいさんボクにジャイアントコーンをお接待してくれた。暑いけどがんばれよ~って。確かに暑いけどその暑さを忘れるくらい感動したのは言うまでもない。ガリガリ君を食べた直後だけどそんなことは関係なく、ありがたく頂戴した。

イートインに先客がいたときはがっかりしたが、もし先客がおらずイートインに入っていたらこのお接待はなかったかもしれない。人間万事塞翁が馬

前神寺の手前。なんと藤の花が咲いている。マジか。ボクは若いころから藤の花が大好きで、自転車も藤の花をイメージした紫に塗装したくらい。8月に藤の花なんて、これは驚き。ちなみに自転車の塗装はパウダーコーティングで、塗膜が厚く丈夫で深みがある光沢が特徴。かつVOCが出ないので環境にも優しい。この道中何度かフレームをぶつけてしまったが、傷一つつかなかった。

14:00、64番前神寺を打つ。山門。山門の先には広い駐車場があるがガラガラ。しかしこんなに広い駐車場があるということは、春秋のお遍路シーズンは満杯になることもあるのだろう。改めて空いている時期で良かったと思う。

本堂。入母屋造り平入銅板葺き、大きな千鳥破風とそれに一回り小さな唐破風が乗る。さらに唐破風の両側から回廊が伸びていて、凄く豪華なお堂。この角度から撮るとパースが効いて実に見事。ご本尊は阿弥陀如来

大師堂。宝形造りに唐破風の向拝が伸びる。屋根上の宝珠が豪華だし、唐破風の両側には鳳凰の飾りがつく。画像ではよくわからないが、唐破風の棟は手前に傾斜している。

前神寺の記念印、慈愛。慈愛…慈しみ 愛する 慈しむ心と 愛する心を もって接する。出典:四国霊場会。

今日はここまで。今日は7つの札所をまわったが、走行距離は約50㎞で楽と言えば楽な日だった。特に61~63番は区間距離が2㎞もなく、かつ同じ通り沿いなので道に迷うこともなく、極めて順調だった。

体力のうち50%は酷暑で持っていかれた感じ。残り50%のうち、30%は仙遊寺の上りだった。徳島の恩山寺、高知の大日寺禅師峰寺清滝寺、愛媛の仙遊寺は平地から突如始まる激坂に気持ちがついていかなくなる。が、これも自転車遍路の醍醐味だろう。

今夜の宿は、伊予西条駅前のホテル玉の家西条さん、部屋に自転車を入れることを許可してくれてありがとう。明日はいよいよラスボス60番横峰寺にアタックする。

8月2日終了。

本編2023年8月2日(前編)=57-58-59-61-62-63-64番=

走行距離51.5㎞。本日の費用、札所2,170円、ホテル4,880円、交通費0円、食費3,768円、その他200円、合計11,018円。

今日は今治から西条まで進む。今日は仙遊寺以外は平地の札所だと思うので、粛々とこなそう。60番横峰寺はスキップし、明日に回す。昨日と同じように6時前にロビーで自転車を組み立て、6時半ごろ出発。

57番栄福寺へは直前に遍路道がある。コンクリート舗装の平坦な道で石清水八幡神社の森の境界線を縫うように走る。

ここまではよかった。その後なぜか突然激坂に突っ込み、墓地の中を通過して境内の手前に出た。劇的な展開だったが、激坂は勘弁してほしい。

7:00、57番栄福寺を打つ。こちらは山門はないようだ。

向かって左が本堂。入母屋造り平入に豪華で巨大な唐破風を張る。ご本尊は阿弥陀如来。向かって右は大師堂。宝形造りで屋根を延長して向拝としている。

本堂の唐破風とその天井裏。天井画があるようだが、現場では見逃してしまった。唐破風の飾りは超豪華。

こちらは大師堂の向拝虹梁。龍の彫刻が凄い。

栄福寺の記念印、発心即菩提。覚りの心である「菩提心(ぼだいしん)」をおこすと、またたくまに覚りの境地に至る。出典:四国霊場会。

次の仙遊寺ヒルクライムがあるのだが、もしかしてあれか?あの山の上まで上るのか?

仁王門。参道はここから始まるが、もう既に激坂の気配が。ちなみに、白い仁王像はなかなか珍しいと思う。歩き遍路はこの門の奥に進むのだろうか。

スイッチバックかと思うほどだがこれでもヘヤピンカーブ。左側なんて下が見えない。この部分は手許のサイコンだが勾配20%以上だった。

こんな激坂だと一直線には上れないのでジグザグに蛇行して上る。ボクは勝手にウェーデルン上りと呼んでいるが、この時ばかりはこれが裏目に出た。ジグザグにハンドルを切って踏み込んだ瞬間前輪が浮き上がり、バランスを失って転倒しかけたのだ。

元々リアキャリアに8㎏の荷物を積んで重心がリアに偏っているところに、あり得ない勾配と、減速比1という超遅速ギアという条件が重なり、踏み込んだ時にウイリーしてしまったのだ。バランスを崩したが危ういところで踏みとどまり転倒は免れた。

しかし一旦停止すると今度は再スタートできない。つまりふつうは片脚で踏んで惰性で走っている間に反対の脚で踏む、なのだが急勾配なのでこの惰性が得られない。一度止まると再び進むことができないほどの激坂なのだ。3度目のトライで何とか乗ることができた。それほど急勾配で危険な坂だということ。
そんな具合で必死で漕いで、8:00、58番仙遊寺を打つ。まだ8:00だけど結構消耗した。ロードバイク用のスタンドがあるということは、ロードバイクで上ってくる人が結構いるということを示している。

本堂。入母屋造り妻入りの屋根に巨大な唐破風がでん!とくっついている。さらにこれまた巨大な裳階がついていて、それぞれが強烈に主張しあってものすごいことになっている、という印象のお堂。裳階と言ったが裳階なのか2層になっているか、よくわからなかった。ご本尊は千手観音菩薩それにしてもこの分厚い唐破風は圧倒的だ。屋根瓦の飾りも凄い。何がなんだかわからない。くどいか。  右奥には鉄筋コンクリートの建物が見えるが、これは宿坊と思われる。

ご住職の許可をいただいたので、ご本尊を撮影した。残念ながら中が暗いのとボクの腕が悪いのとでピンボケになってしまった。


左が大師堂。こちらはごくノーマルな宝形造りで正面は屋根の一部が伸びて向拝になっている。

仙遊寺の記念印、ありがとう。

境内から今治方面を臨む。しまなみ海道らしき影もかすかに見える。

苦労して上った分立ち去りがたいが、いつまでもいるわけにもいかないのでさっきの坂を下ることにする。

最早お約束となりつつあるが、道に迷ったり遠回りしたりして、9:10、59番国分寺を打つ。

本堂。入母屋造り波瓦平入、正面の屋根の一部が手前に伸びて向拝になっている。ご本尊は薬師如来

左本堂、右大師堂。大師堂は宝形造りの典型的なお堂。本堂とは90度の配置で建っていて、本堂と大師堂は渡り廊下で繋がっているように見える。

握手修行大師像と薬師のツボ。せっかくなので手袋したまま握手してきたが、このような石像やオブジェにはあまり魅力を感じない。

伊予国分寺の記念印、心香。身は花とともに落つれども心は香とともに飛ぶ。出典:四国霊場会。これいい言葉だなあ。

国分寺を出て走行中、道路わきに突然蓮の畑が現れた。お遍路の最中だからという訳ではないが、蓮の花って本当にきれいだと思う。

中山川の手前から霊峰石鎚山をのぞむ。横峰寺はどの辺りにあるのだろうか。横峰寺は明日の楽しみに取っておく。なんちゃって。

11:10、61番香園寺を打つ。香園寺はその特異性という点では八十八カ所でピカ一だろう。鉄筋コンクリート2階建てのコンサートホールのような建物だ。参拝するには2階に上がって靴を脱いで入らなければならない。2階の祭壇もコンサートホールのようだ。ボクが参拝した時は誰もいなかったので、それをいいことに大声で読経したのだが、反響して気のせいかとても良い声に聞こえた。

真夏の遍路は猛暑で非常に過酷であるが、どこに行っても空いているという点は、猛暑という難点があっても選択したくなる最大の利点だ。ということで、2階のホールでご本尊とお大師様をお参りした。

下は建設中。本坊らしき建物の唐破風が見える。鉄筋コンクリートアバンギャルドな建物にすればカッコいいのに、こっちだけトラディショナルにしても統一感がなくアンバランスに感じることだろう。悪いけど。

香園寺の記念印、三密瑜伽。仏様の身(形、動作)口(語、言葉)意(念い、考え)と衆生の身口意とを、修行することによって、加持観応して一致
融合を体感すること。出典:四国霊場会。

後編へ続く。