Ino_noosの自転車巡礼の記録

アラ還のオヤジが自転車で巡礼しました。その記録を記します。

2026年7月13日=鹿島神宮=特別編後編

2026年7月13日=鹿島神宮=特別編前編より続く。

 

楼門を背にして、拝殿と本殿。もう興奮度MAX。

 

拝殿。入母屋造り平入檜皮葺。拝殿の目の前に鳥居があるという配置も珍しくて興味深い。後方に見えるのは御神木。

 

社殿を横から。拝殿の入母屋屋根の背面から切妻状の屋根が伸びている。これが幣殿だと思われる。この幣殿から一段下がったところに別の屋根が見える。これは石の間であろう。
入母屋破風に見られる朱塗りの懸魚や金の飾りなどは気品すら感じる。

 

同じく横から。今度は本殿側。本殿は切妻屋根平入檜皮葺。三間社流造と言うそうだ。屋根の曲線が美しい、檜皮葺ならではだ。流れ向拝が石の間の屋根にかぶさる様に迎えに行っている。屋根の下の飾りは豪華絢爛で、しかし気品ある美しさを保っている。

以上の拝殿、幣殿、石の間、本殿で構成される社殿は国の重文。今から約400年前に二代将軍徳川秀忠の寄進による。元和5年と言うことなので、家康没後3年後だ。

 

御祭神に関する立札。なお、日本書紀では武甕槌と表記するが、古事記では武御雷と書く。本記事は古事記をベースにしているので、ボクは武御雷と表記している。

 

本殿と御神木。先ほどとは反対側から撮影。本殿は棟の両端に千木をいただき、鰹木は3本だ。黒と金のコントラストに凄みを感じる。背景の御神木も大迫力。

 

ところで、出雲大社は南向きだが大国主命は西を向いているのは有名な話。

一方の鹿島神宮の本殿は、前述のとおり北向きで、かつ武御雷が鎮座する神座は拝殿から見て左、つまり東を向いている。

出雲大社とは180度反転した形だ。この対比は実に興味深い。それぞれレイラインの延長方向を向いているからだ。これは偶然の一致だろうか。それとも意図したものだろうか。何しろこんなワクワクする歴史秘話はないね。今の話を前編のレイラインの図に書き足すとこうなる。

 

仮殿。国重文。入母屋造り平入、たぶん檜皮葺。拝殿の斜向かいに建っているが、こちらは南向き。

 

楼門を背にまっすぐ進むと、樹叢に突入する。鬱蒼とした樹木が生い茂る神秘の世界への入口だ。

 

さざれ石。我国の国歌君が代にも登場するさざれ石。

余談だが、世界の国々の国歌は、戦いの歌が多数派だ。例をあげると、敵を蹴散らし壊滅せよとか、武器を取れ隊列を組め進め進めとか。中国に至っては抗日映画のサントラが国歌になっちゃったっていう冗談のような話もある。

その点君が代はなんて美しいのだろう。平和で清らかで永遠の愛の歌だ。日本人として生まれてきて本当に良かったと思うよ。


 奥宮。徳川家康が関ケ原の合戦(1600年)の戦勝の御礼として、その5年後に現在の本殿のある位置に建立奉納したが、その14年後2代将軍秀忠が新たな本殿を建立するにあたり、この位置まで曳家し、奥宮となった。

切妻屋根平入檜皮葺。神殿の後方にはこれまた巨大な御神木が立っている。お宮の前にはやっぱり鳥居だ。

 

奥宮の切妻部分。流れ造りの曲線がなんとも言えず美しい。屋根の柔らかなカーブは檜皮葺ならでは。

 

大鯰を押さえつける武御雷大神。

 

そして要石。鹿島神宮の要石は凹型をしている。一方香取神宮の要石は凸型だ。この対比も面白い。

 

要石は地表に現れているのはほんの一部で、まさに氷山の一角だといわれている。あの黄門さまでおなじみの水戸光圀公が7日7晩に渡って掘らせても全容をつかめず、終いには光圀の夢枕に神様が出てきて怒られた、という逸話も残っている。

 

御手洗池。1日で40万リットル以上の湧水だそうだ。ということは毎秒4.6リットルってことか。ホントか?って思うが、まあ野暮なことを言うのはやめておこう。

 

ところで、さっきからずっと思っていたのだが、鹿島神宮の鳥居って、他では見たことがない。稲荷系の明神鳥居とは全然違うし、靖国系の神明鳥居とも微妙に違う。あとで調べたら、これは鹿島鳥居というのだそうだ。奥が深いなあ。

 

ちなみに伊勢の神宮の宇治橋の手前にある大鳥居の笠木の断面は、円ではなく五角形である。これは神宮以外では見たことがない。せっかくだから、伊勢の大鳥居と宇治橋とご来光が一直線に見える珍しい画像を貼ろう。これが見えるのは年に数日しかない。

伊勢の神宮 2016年撮影

 

最後にもう一度樹叢。

 

立ち去りがたい気持ちだが、今日はこれから水戸駅まで走らなければならない。摂社など見逃してしまったポイントも多いので、いつかまた再訪したい。

 

水戸駅までは54㎞。幸運なことにここでも追い風に励まされ、雨にも叱咤激励され、16時20分水戸駅到着。本日も神仏のご加護により無事終了。

 

次は、いよいよ区切り打ちファイナル、結願の旅。千葉県の最南端は館山の那古寺を目指す。ま、涼しくなったらね。

 

おまけ
鹿島神宮でゲットした双宮守。

 

香取神宮の双宮守と重ね合わせ、これにて完成だ。昨年生まれた孫のために是非とも欲しかったのだ。武運があるようにね。

 

2026年7月13日=鹿島神宮=特別編前編

2026年7月13日=27番=より続く。

 

円福寺をスタートしたのが10時10分、次は今回のメインイベント鹿島神宮だ。区間距離は37㎞、約2時間の行程なので淡々と走りつつ、鹿島神宮の御祭神武御雷大神(タケミカヅチノオオカミ)について、おさらいしようか。

 

鹿島神宮の御祭神は武御雷大神(タケミカヅチノオオカミ)である。武御雷は古事記に登場する武神で、国譲り神話のメインキャストだ。

天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命を受けて葦原中津国に向かった武御雷は、稲佐の浜に降り立ち、鉾を逆さに突き立て、その天を向いた切先の上に胡坐をかいて座るという聞くだにイタいパフォーマンスを演じ、大国主命(オオクニヌシノミコト)に国譲りを迫る。

稲佐の浜 2018年撮影

 

対する大国主命は倅の力自慢の建御名方神(タケミナカタノカミ)を立てて戦いを挑むが、武御雷のパンチに建御名方はドラゴンボールのバトルよろしくピューっと空の彼方に吹っ飛ばされてしまい(若干脚色)、落ちた先が現在の長野県の諏訪地方だった。

そこで建御名方は敗北を認め、助けてくれるなら背かないことを約束しよう、と懇願した。こうして建御名方はこの地に封じられ、できたお社が諏訪大社である。

 

一方武御雷は吹っ飛ばされた建御名方を追って飛んで行ったが(武空術ではない)、勢いあまって諏訪を飛び越えてしまい、あわや太平洋に突入というすんでのところで地上に降り立った(かなり脚色)。

降り立ったところが現在の茨城県鹿島市で、後年神武天皇がここに鹿島神宮を建立するのである。

ということで、地図を広げると、出雲大社、諏訪大社、鹿島神宮は一直線につながっているのだ。太っとい線で引けばの話だけど。こう言うのをレイラインと言ったりする。

 

さて、現実に戻るが、利根川北側のR124はずーっと直線だ。ぼーっとして気を失ってしまいそうになる。ラッキーなことに今日も追い風なので、結構楽して走っているが、ぼーっとしているとまた神話の世界に旅立ってしまう。


かくして国譲りが完了し、天孫降臨つまり瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高千穂に舞い降りた。その瓊瓊杵尊は、それはそれは美しい木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を娶り子をもうけるのだが、あまりに早い妊娠にあろうことか瓊瓊杵尊は疑いをかける。

それに怒りを爆発させた木花咲耶姫は、天孫の御子ならこの中でも無事に生まれるはずと言って産屋に火をつけ、その中で見事に三つ子を出産する。そのうちの2人が海幸彦山幸彦である。

なお木花咲耶姫はこれによって火と関連付けられ、富士山信仰で有名な浅間神社の御祭神におさまっている。昔から美人って気が強い人が多いよね。うちのカミさんも気が強くてさ~

 

その山幸彦の孫が神武天皇で、神武天皇が東征で苦戦していたところ、武御雷から賜った韴霊剣(フツノミタマノツルギ)で勢いを取り戻し、ついに東征を達成し、紀元前660年の旧暦の元旦(現在の2月11日)に天皇即位を宣言する。

そして、神武天皇は同じ年に武御雷への感謝の記しとして、国譲り神話で武御雷が降り立った鹿島の地にお宮を建立した。それが鹿島神宮である。つまり鹿島神宮の創建は紀元前660年、今から約2700年前なのだ。これが、鹿島神宮が我国で最も古い歴史を持つ神社と言われる所以である。

 

と、長々と講釈をたれている間に、やっと鹿島神宮に到着した。12時10分、鹿島神宮を参拝する。

 

こちらの鳥居は2011年の東日本大震災で倒壊してしまった元の鳥居に代わり、境内の杉の木から新たに建立したおニューの鳥居である。

そして、この大鳥居はなんと西を向いている。普通神社は南向きと相場が決まっているのだが、のっけから一筋縄ではいかない雰囲気盛りだくさんだ。

 

大鳥居をくぐって東へ進むと楼門が見えてくる。楼門。国重文。日本三大楼門の一つ。入母屋屋根銅板葺きの八脚門。元々は檜皮葺だったそうだ。中央に高欄を設けるスタイルは香取神宮と同じ。バランスが取れていてとても美しい門だ。

 

そして扁額は、こちらも東郷平八郎の筆によるものだ。

 

楼門をくぐるといよいよ拝殿が出てくるのだが、ここでも驚きの事実があった。拝殿はなんと北を向いているのだ。

普通は鳥居から拝殿本殿までは一直線につながっている。つまり拝殿本殿は南を向いているのだが、ここ鹿島神宮は楼門をくぐってまっすぐ進むと、つまり東に進むと右手に拝殿が現れる。

つまり拝殿本殿は北を向いているということになる。さすが日本一古いお宮だけあって、常識にはとらわれない。というか常識が形成される以前からそこにあったということだ。

 

特別編後編へ続く。

 

2026年7月13日=27番=

7月13日。本日の走行距離135㎞。本日の費用、札所5000円、ホテル0円、交通費7,170円、食費2.975円、その他0円、合計20,785円。本日の札所27番と鹿島神宮。

 

本日はR356をひたすら東へ進み、千葉県の東端である銚子を目指す。区間距離は約40㎞。次は銚子大橋を渡り、利根川の北側を北に向かって走り、鹿島神宮を経由して水戸駅がゴール。

 

朝から雨。天気予報では出発する頃には雨は止む見込みだったが、世の中そんなに甘くはない。ルートインのバイキング形式の朝食をがっつり食べて、7時出発。雨で落ち込んでいたからか、普段は撮っている出発の写真を撮り忘れている。

 

7時30分、河川敷に何やら巨大な鳥居が見えてきた。ひょっとしてこれは香取神宮の鳥居河岸か?ちょっと寄ってみるか。

 

香取神宮の御祭神である経津主大神(フツヌシノオオカミ)は、ここから上陸されたと伝えられる。式年大祭では、お神輿を乗せた船がここにつけられるのだそうだ。

 

利根川沿いのR356をひたすら先端に向かって進む。利根かもめ大橋。いよいよ河口も近づいてきたか。

この辺で雨も上がってきた。もう合羽を脱いでもいいだろう。

 

9時40分。27番円福寺を打つ。市街地の中に突如現れる仁王門。八脚門で入母屋造り、朱塗りの柱に組物は黒というデザイン。

 

観音堂。このお堂は戦後の再建で鉄筋コンクリート製。元の本堂は太平洋戦争における銚子空襲で焼け落ちてしまったそうだ。入母屋造りの大屋根から伸びる流れ向拝は左右に分割していて、その間に扁額が収まり、さらにその上に唐破風の屋根が覆いかぶさっているユニークな構造。黄色の向拝柱もユニークだ。ご本尊は十一面観音菩薩。

 

さて、実は円福寺参拝にはもう一つの目的があった。昨年の日光中禅寺の記事でも述べたが、犬吠埼は一昨年亡くなったボクの親友のIと一緒にバイクツーリングで訪れた思い出の地なのだ。約40年前の話だが。

なので、円福寺にはいつものご先祖様の供養と、親友Iの供養の2通の写経を納める準備をしてきたのだ。

 

この2通の写経を納めて勤行したあと、ご納経はこちら観音堂で受けられると、お寺の方から案内された。事前の情報では通りを挟んだ大師堂に行かなくてはならないということだったが、何しろこちらで受けられるのはよかった。

 

お寺の方には大変親切にしていただいて、観音堂の内陣に入るよう進めてくださったのだが、雨で足元が濡れている状態だったので、これは辞退した。

内陣は撮影不可だが、一方内陣手前の天井画はOKだということで、撮影させていただいた。内陣の向かって左側には百観音の、右側には四国八十八カ所のご本尊の絵が書いてある。ボクもいつか達成したい。

 

観音堂からの五重塔。木造で千葉県唯一の五重塔のこと。

 

大仏と観音堂。大仏は阿弥陀仏。鎌倉の大仏と同じ仏様だ。

 

観音堂を背に境内を見下ろす。

 

鐘楼。入母屋造り本瓦葺きの重厚な屋根。小っちゃい唐破風もついている。暗くてよく見えないが、組物が凝っている感じ。

 

特別編=鹿島神宮=に続く。

 

おまけ
ボクは坂東ツーリングでは会社にお土産を買って帰ることにしている。今回は選定に悩んだが、銚子市内にある徳屋さんのサカナサブレ―を買って帰った。というか送ってもらった。

このサカナサブレ―、始めサクサク、すぐにトロ~リ、最後にバターの香りがふんわり、という逸品で、会社の人たちにも好評だった。

徳屋のオーナーさんには直接お会いできず電話でのやり取りだったが、シャキシャキっとした対応にほれ込み、実はその瞬間に購入を決めてしまった。

その徳屋さんがこちら。

 

そしてそのサカナサブレ―がこちら。

これ美味しいよ、マジで。

 

2026年7月12日=香取神宮=特別編

2026年7月12日=25,26,28番=後編より続く

 

龍正院をスタートしたのが15時40分、次の目的地の香取神宮まで区間距離は20㎞、普段なら1時間以上かかる距離だが、しかし香取神宮の受付時間は17時までで、今回絶対手に入れたい双宮守をゲットするにはのんびり走ってなどいられない。

ということで必死に走り、追い風も味方してくれて、16時30分、香取神宮に到着した。やればできるじゃないか62歳。それにしても追い風で助かったよ、これも普段のボクの行いが良いからだ、きっと。そういうことにしておく。

 

そんなことより香取神宮。香取神宮はお隣の鹿島神宮と並んで、我が国で最も古い歴史を持つ神社の一つである。平安時代の延喜式神名帳に「神宮」と記されていたのは伊勢の神宮と、香取、鹿島の3社のみだったというのだから、そのヒエラルキーの高さが伺える。

ちなみに伊勢の神宮の正式名称は「神宮」である。ほかの神宮と区別するため便宜上伊勢の名を冠しているだけだ。さすが我が国最高峰の面目躍如といったところだろうか。 

香取神宮の御祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)。日本書紀において、国譲り神話に登場する神様で、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命を受けて、武甕槌神(タケミカヅチノカミ)を副官に従えて大国主命(オオクニヌシノミコト)と対峙し、ついには国譲りを達成したという、天津神サイドから見ると英雄の神様である。ちなみになぜか古事記には一切登場しない。

 

朱塗りの大鳥居をくぐると、なんとS字に大きくカーブする参道が始まる。普通は鳥居から本殿まで一直線なのだが、のっけから普通じゃない雰囲気が盛りだくさんだ。

 

参道を抜けると再び鳥居が現れ、その奥には総門が見える。総門をくぐるといよいよ楼門が見えてくる。

 

楼門。国重文。三間一戸の重層門で、屋根は入母屋造りたぶん銅板葺。門柱、高欄、組物に屋根、全体的にバランスが取れていて、実に美しい門だ。

 

なお扁額の文字はあの日露戦争の英雄、東郷平八郎の筆によるものだそうだ。何から何まで心憎い演出がされている。

 

そして楼門をくぐると、いよいよ拝殿が現れる。拝殿。入母屋造り平入で檜皮葺、正面に大きな千鳥破風、その千鳥破風の幅に合わせた形で向拝が手前に延び、その先端が唐破風となってフィニッシュするという重厚な造り。壁や柱は漆黒の漆塗りでところどころに金色や極彩色の装飾が施されている荘厳かつ圧巻の神殿だ。

 

そして香取神宮の嬉しいところは、本殿の周囲をぐるりと一周できるのだ。まるで出雲大社みたい。おっとこれは敵同士か。

本殿。国重文。切妻屋根平入で同じく檜皮葺、屋根の裾が長くてカッコいい。これを両流造りと言うのだそうだ。棟の両端には千木、棟には鰹木が9本並んでいる。

ちなみに伊勢の神宮の内宮は10本、外宮は9本だ。それに匹敵するヒエラルキーの高さと言うことだろう。

切妻屋根の飾りが豪華絢爛だ。奥に見える入母屋屋根は拝殿。拝殿と本殿の間、拝殿の屋根が伸びているがこの辺りは石の間というのだと思う。

 

北参道。本殿の裏から北に延びる参道。鬱蒼とした樹木が生い茂る神聖な雰囲気たっぷりの参道。

 

香取護国神社。鳥居はやっぱり神明鳥居。

 

地震が起きないよう地中に潜む大鯰を抑えつけていると言われる要石。香取神宮の要石は凸型をしている。一方鹿島神宮の要石は凹型をしている。

 

経津主大神の荒御魂を祀る奥宮。

 

巨木の中にひっそりと佇む静かで神聖な空間。ひんやりした空気。ここだけ時間が止まっているような感覚がする。

 

ちなみに荒御魂とは、荒ぶる魂のことで、ダークサイドというか、武藤敬司とザ・グレート・ムタのような感じかな。例えが古いか。

 

奥宮の脇から急坂を下って朱塗りの大鳥居に戻ってきた。今日ここまで120㎞走ってきて身体は疲れているはずなのだが、清々しく満ち足りた気分に溢れている。心から参拝してよかったと思う。

18時ホテル着。本日も神仏のご加護によって無事終了。 

 

おまけ
今回ゲットした念願の双宮守。今年2026年は、香取鹿島両神宮で12年に一度行われる式年大祭の年で、それを記念して受けられるお守りだ。ということは12年に一度しか手に入らないものなのかもしれない。ボクにとっては最後のチャンスだったかも。何しろゲットできてよかった。

 

2026年7月12日=25,26,28番=後編

2026年7月12日=25,26,28番=前編より続く。

 

筑波山の麓に沿うように反時計回りに走り、11時30分、26番清瀧寺を打つ。

 

仁王門。八脚で2層になっているようだ。屋根は金属板葺きだがオリジナルは茅葺きだったのではないかと勝手に推測する。約200年前に建てられたそうだ。

 

本堂。こちらの本堂は、昭和の時代に惜しくも火災で焼失してしまい、その約10年後に鉄筋コンクリート製で再建されたものである。宝形屋根、四方三間で正面には流れ勾配がかかっている。ご本尊は聖観世音菩薩。格子戸越しに覗いてみたがよく見えなかった。

 

なお、こちらは坂東で唯一住職がいない札所で、納経は地元の有志の方が担っておられるようだ。ボクも納経していただいたあと境内で一服していたら12時となり、納経所も閉まってしまった。無警戒だったが危ない危ない、滑り込みセーフだったよ。

 

次の龍正院までは約47㎞、土浦市内を通過し、霞ケ浦をちょっとだけ眺めつつ南下する。この間のRide with GPSのログを記録できなかったのは痛恨だった。牛久では日本一の高さを誇る牛久大仏を遠目に眺めつつ、さらに南下する。こんなに巨大だとパースが狂っちゃうよね。

 

小野川沿いの長閑な直線をひたすら南下中。この辺りは成田空港の近くだからか、ひっきりなしに飛行機が飛んでいる。10機までは数えたが、その先は数えるのをやめてしまったくらいだ。 ゴミみたいに見えるが、この写真の左上にも1機飛んでいる。

でも不思議なのは、あまり騒音が大きくないことだ。車輪を出して着陸態勢に入ってるということもあるのだろうか、技術革新もあるのだろう。何しろみんな静かに滑空していった。


その後も南下し、15時10分、28番龍正院を打つ。

 

仁王門。国重文。寄棟造りの八脚門だが珍しいことに茅葺だ。大きい屋根だねえ。さらに珍しいことに注連縄が張ってある。

一般的に注連縄って神社のイメージだが、神仏習合したり廃仏毀釈したりの歴史があるので、まあカタいことは言いっこなしだ。

神道は我が国古来の宗教で、仏教は6世紀ごろに伝来したと言われているが、異教を受け入れた当時の日本人はすごいと思う。ついでに言うと16世紀ごろに天主教を受け入れなかった日本人の感覚もすごいと思う。

アブラハムの宗教なんて一神教だから必然的に排他的で、しょっちゅう戦争してるし、傍から見ると兄弟喧嘩にしかみえない。やっぱり神様は八百万ってのが一番いいよね。

おっと話を戻そう、仁王門の柱は一見円柱のようだが十六角柱だそうだ。なかなか仕事が細かい。十六角っていったいどうやって削り出すんだろう。

 

本堂。入母屋造り平入でちょっとわからないが金属板を葺いているのだと思う。流れ向拝がシンプルで美しい。ご本尊は十一面観音菩薩。

 

正面入り口には扉はなく、外陣の天井には豪華絢爛な天井画が描かれていた。

少し前まで、9番慈光寺と同じような白馬がいたらしいのだが、あまり暴れすぎたのか今は地蔵堂に引っ越したそうだ。

 

宝篋印塔。約300年前に作られた銅製の塔。鋳造とのことだが、非常に精巧に作られていて、当時の技術力の高さに驚くばかり。

ちなみに宝篋印塔と書いてはいるが、読み方はわからない。

 

ぼけ封じ道祖神。ボクが今一番あやかりたいものだったりして。

 

特別編=香取神宮=へ続く。

 

2026年7月12日=25,26,28番=前編

7月12日。本日の走行距離125㎞。本日の費用、札所4000円、ホテル10,550円、交通費8,590円、食費4,148円、その他400円、合計27,688円。本日の札所25,26,28番と香取神宮。

今回も土浦市前後のデータが飛んでしまった。なぜか一時停止モードに切り替わってしまうのだ。ちょっと対策を取らなければならないな、これは。


坂東三十三ヵ所巡礼、第6回はいよいよ千葉県に突入する。そして今回のもう一つの大きな目的は、香取鹿島両神宮を参拝することである。このブログでもそれぞれ特別編として記事にしたいと考えている。ただしその前に筑波山に登らなくては。

 

早朝の仙台駅。ここは東西をつなぐ自由通路。昔は味も素っ気もないただの桟橋だったが、今から10年前の2016年に改修されこんなおしゃれな通りに生まれ変わった。欲を言えば京都駅のスカイウエイみたいなのを作って欲しかった。高いところが大好きな、バカなボクとしては。

 

小山駅8時スタート。前回群馬編は同じ小山駅でも西口だった。今回は東口。正面に筑波山が見えると期待していたが、ビルの陰なのか曇りだったからかはわからないがダメだった。そんなに甘くはないか。

 

スタート30分後、筑波山はまだまだ小さい。  写真だとほとんど見えないね。

 

スタート1時間後、少し大きくなってきた。

 

スタート1時間半後、もう麓といえる地点まで来たぞ。

 

ここからつくばりんりんロードに乗る。こういう自転車専用道っていいよね。

 

などと喜んでいたらヒルクライムが始まった。観光道路なので大したキツくはないだろうと甘く見ていたが豈図らんやなかなかの激坂じゃないか。

約3㎞で200m登るヒルクライムを汗だくになって登り、やっと鳥居が見えてきた。

 

10時、25番大御堂を打つ。


こちら大御堂は苦難の歴史を歩んできたようで、かつての大御堂は廃仏毀釈によって明治時代に打ち壊されてしまい、その後も災害が続き、やっとと言うかついにと言うか令和2年に現在のお堂が完成したという話だ。

日本三御堂の一つに数えられたと言う筑波山の大御堂は、この破却されたほうのお堂だったのではないかと思う。荘厳で威容を誇っていたと言う話だが残念なことだ。一度壊されてしまうともう元には戻らない。

ところで、皇室典範改正の集中審議で、女性でも女系でもいいじゃないかとほざいていた左翼議員がいたが、とんでもない話だ。

今上天皇で126代男系を継承してきた世界最古の歴史を持つ我国の皇室を、途絶えることなく次世代へ繋いでいくことが最も大切なことだとボクは考える。一度女系になったら当然だが世界最古の男系皇室は途絶えてしまう。そうなったら、もう元には戻らないのだから。

ボクはこのような世界最古の歴史を持つ日本という国に生まれて来たことを誇りに思うし、男女平等を隠れ蓑にして皇室の歴史を壊そうとする一部の議員に断固反対する。

 

おっと話が逸れてしまった、大御堂に戻ろう。入母屋造り平入のお堂は令和2年に新築されたばかりのピッカピカの新築だ。ご本尊は千手観音菩薩、正面から参拝すると本堂の奥にこれまたピッカピカの千手観音が微笑んでおられる。

と思って観ていたら驚いた、ボクのあとに入ってきた若いカップルが思いっきり柏手を打っている。さらにそのあとから来た家族連れもだ。ひょっとしてこれが筑波山スタイルなのか? 大御堂の少し上には筑波山神社があるのだが、そっちと勘違いしているのだろうか。ちょっとあきれてしまった。  

 

本堂斜めから。鬼瓦には三つ葉葵の紋が、懸魚の上の飾りにも三つ葉葵が飾られている。徳川家との関係の深さがうかがえる。

なお、こちらの若いお坊様に写経を納めたところ、両手で押し頂いてその場でご本尊のそばまで運んでくださった。この真摯で丁寧な対応に心から感謝したい。改めて、大御堂さんありがとうございました。

 

次は26番清瀧寺、区間距離14㎞、ダウンヒルはつくば道をチョイスしたのだが、ものすごい勾配だ。

 

四国の27番神峰寺の真っ縦も真っ青になる急勾配だが、驚くのはこの坂道沿いに民家が立ち並んでいることだ。これ生活道路なん?


最後に鳥居をくぐる。何とか下りきったようだ。

 

後編へ続く。

 

2026年5月25日=17番=後編

2026年5月25日=17番=前編より続く

 

埃っぽい山道を抜け、11時40分、17番満願寺を打つ。
仁王門。入母屋造りの八脚二層門。真っ赤な人は阿吽の仁王像。かなり大きい。



仁王門をくぐった先にあるのは薬師堂。宝形造り金属板葺き。向拝虹梁には雲の彫刻が浮彫してある。

 

手水舎。龍の口から水が出ている。入母屋造り色からして銅板葺きっぽい。

 

不動明王立像。同じく色から銅の鋳造だろうか。くれぐれも盗難に注意して欲しい。

 

本堂へ至る石段。ご本尊から繋がった帯が塔婆に結びつけられている。

 

本堂(大御堂)。入母屋造り平入金属板葺き、正面に唐破風の向拝を構える。堂々とした大変大きなお堂。筑波山大御堂、奈良興福寺の大御堂とならんで日本三御堂に数えられているそうだ。

ご本尊は、千手観音菩薩。御開帳されていて、内陣に入って参拝できるようになっている。内陣にはご本尊の他不動明王像や弘法大師像などが安置されている。ご本尊は御簾の奥におられるので、御簾の下から覗き込むようにして拝観するのだが、ちょっとイケないことをしている気分になってしまった。

三手先の組物全てに龍の彫刻が施されている。これは凄い、初めてお目にかかった。まさに圧巻の光景である。

 

反対側の側面から見た石造り十三重塔。かなり大きい。もちろんこっちにも龍がいる。

 

この海老虹梁凄すぎる。もう言葉がない。

 

奥の院へは、本堂の脇から進む。

 

奥の院へは、このような山道を凡そ1㎞登らなくてはならない。

 

登り始めて15分後、奥の院が見えてきた。なんと懸造り。京都の清水寺の舞台で有名な様式だ。

 

いやあ、しかしよくこんな山奥まで木材を運んだものだ。ちょっと考えられない。

 

奥の院の内陣。真ん中は十一面観音。両脇は、・・・

 

奥の院の霊窟。十一面観音の後姿とされる鍾乳石。

 

奥の院の真下にある大悲の滝、落差8m。滝の上には不動明王が立っている。出流川の源流だそうだ。

 

戻ってきた。改めて本堂を背面から。棟には三葉葵の紋章が見える。

 

組物は、よく見ると獅子もいるぞ。出鼻は獅子なのか。鷹もいる。凄すぎる。

 

鐘楼。脇の方にあったので往路は見逃してしまっていた。しかし凄いデザインだなあ。 コンクリート製だそうだ。

 

本堂を背にして薬師堂と仁王門。ボクの自転車もどこかに写っているぞ。

 

さて、12時から13時まで納経所の受付を閉める札所が多い昨今、こちら満願寺は当該時間中だったが問題なく対応していただいた。若いお坊さんは食事中だったにも関わらずだ。

この対応には絶賛を贈りたい。札所によって事情は違うので、閉めるのはいかんとは一概には言えないが、歩き巡礼やボクのような自転車巡礼にとって、最大1時間のタイムロスは極めて深刻な問題なのだ。

ということで改めて、満願寺さん、昼休み中に納経対応していただき、ありがとうございました。

 

参拝後、仁王門の手前の手打ちそば福寿屋さんで、出流そばをいただく。

ボクは脚が遅いので、普段はゆっくり名物をいただく余裕はないのだが、今日はタスクも終了したし良いだろう。

歯ごたえのある二八そばで、つゆの中には天ぷらにした玉ねぎが丸ごと1個入っていて、かつ放射状に切り込みが入っていて、まるで蓮の花のようだと思った。これ最高。

 

ゴールの宇都宮駅までは区間距離40㎞。淡々とペダルを回し続け、15時50分宇都宮駅に到着。

 

さて、宇都宮駅の数キロ手前で、コンビニ休憩した時の話。あと数キロでゴールなので、わざわざここで休憩する必要もなかったが、何となく寄って一服していたら、前を通りかかった小学生の集団から注目を浴びてしまった。

「お〜、かっこいい! 何あれ〜」っと子供ならではの遠慮のなさで歓声があがる。その内の1人が「お遍路さんですか?」と聞くので、そうだよって答えた。正確には違うけどまあ良しとする。すると彼らは「頑張ってくださ〜い」と手を振ってくれた。

これは間違いなく菅笠効果だが、やっぱり嬉しいもんだね。ここで一服していなければ、あり得ないコミュニケーションだった。その効果をもたらした菅笠がこれ。最早巡礼には欠かせないアイテムになった。

 

さあ、次は区切り打ちセミファイナル、いよいよ千葉県に突入する。長年の宿願だった香取鹿島両神宮にも参拝したい。今度はワイヤーロックを忘れないようにしなくちゃね。