Ino_noosの自転車遍路の記録

還暦のオヤジが自転車で四国をお遍路しました。その記録を記します。

本編2023年8月3日(後編)=60-65番=

2023年8月3日(前編)=60-65番=から続く。

横峰寺早朝アタックを終え、ホテルに戻ってきた。9:10ホテル着。往路は2時間20分、復路は1時間の道のりだった。ホテルでシャワーを浴びたい気分だったが既にチェックアウトしているのでそれもかなわず。こんなに早く戻ってこれるんだったら、チェックアウトしなければよかったがあとの祭り。

ホテルで荷物を受け取ったその足で伊予西条駅に向かい、暑さ対策と疲労軽減策として、輪行伊予三島まで移動する。この区間約36㎞だが自走したら2時間以上かかっただろう。電車で約50分身体を休めることができた。

伊予三島駅で下車し、今夜の宿であるビジネスホテルマイルドさんに寄って再び荷物を預かってもらい、65番三角寺を目指す。事前に調べていたことだが、三角寺までのルートはわかりずらい。細い生活道路しかもまあまあの坂道を行きつ戻りつ、つまり道に迷いながら上る。

あとでわかったのだが、ここはエリエールで有名な大王製紙の城下町のようで、ここまで上ると眼下にその工場街が広がる。

12:40、65番三角寺を打つ。上ってみると麓で道に迷ったあたりが一番きつい坂道だった。

山門。

仁王門でもあり鐘楼でもあるようだ。

本堂。宝形造り銅板葺き裳階付き。向拝として唐破風を張り出す。宝形造りとしては非常に大きなお堂だと思う。裳階付きと書いたが、あまりにも大きいので、裳階なのか2層になっているのか、よくわからない。ご本尊は十一面観音菩薩

向拝虹梁の彫刻。龍が躍動している、凝った造り。

本堂横から。やっぱり宝形造り。手前の大木も幹に苔が生えたぐらいにして貫禄がある。紅葉したらきれいだろうなあ。

階段の上、大師堂。宝形造り銅板葺き。

三角寺の名前の由来となった三角形の池。ここで弘法大師護摩の秘法を行ったという。

ところで三角寺の直前で歩き遍路を追い越してきたが、彼はイタリア人だった。今回出会った歩き遍路のうち、半数は外国人だったが、彼もその一人。

三角寺の境内で一服していると彼が追いついてきたので、この三角池まで案内して寺名の由来を説明したところ、すごく喜んでくれた。どうやら彼は通しで歩いていて、今日で45日目だそうだ。1日当たり平均30㎞歩くのだとか、最大で42㎞歩いたとか、ボクから見ると異次元の世界だった。彼から見てもボクが1日100㎞走ると言ったら目を丸くしていたが。

こういう話は面白い。今朝横峰寺を上ってきたことを話したが、あそこは整備されて歩きやすかったそうで、どうやら彼は遍路道の話をしているようだった。88番大窪寺がきつそうだとも言っていた。確かに大窪寺遍路道は急峻だそうだ。なんだかんだで20分くらい話をしただろうか、互いの健闘を祈って別れた。彼とはその再会する機会はなかった。彼は高野山にも行くと言っていたので、無事満願したことだろう。

ちなみに、会話は英語、日本語、ボディランゲージ、ガイドブックの指差しと総動員。彼はボクの壊れた英語をよく理解してくれたと思う。実は理解していなかったりして。

三角寺の記念印、皆悉四恩。人は皆、様々なかたちで支えられ、恩を受けている。それは父母のように身近な存在から、一切衆生に至るまで全てのものからである。出典:四国霊場会。

納経所で御朱印を書いてくれた奥様は、ボクが自転車で上ってきたことを知るとよく上ってきましたねえと驚いていた。いやいや横峰寺に比べればなんてことないですよ、とは言わなかったけど、お褒めいただき光栄です。

その後下山し15時頃ホテル着。割と大きめのホテルなんだけど家族経営なのかホテルの人は隣の畑で野菜を取っていた。プチトマトをお接待していただいたので、冷蔵庫で冷やしてからいただいた。さらに翌朝はおにぎりをお接待していただいた。嬉しい~。

なお本日の移動距離は100㎞だが、このうち36㎞は電車でワープなので、実質64㎞といったところだろう。

8月3日終了。